神社

2017年10月25日 (水)

細石神社参拝

10月3日火曜日に、細石神社に参拝することができた。

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本堂

 阿吽の狛犬が良い表情をしている。

Sazare02_2 Sazare03_2

二つの神石

 

Sazare04_2 Sazare05

 

そばにある築山古墳(つきやまこふん)

 

Tsukiyama_kofun01_2

 細石神社は福岡県糸島市三雲にある。「イトシマ」は、五十に仕切られた間という意味になり、言霊を指し、「ミク」三と九、「モ」は、守る、盛る、積み上げるなどの意味があり、数霊を表していると取ることもできるだろう。古代の神々はどうしてもそれを我々に伝えたいのだ。

 糸島といえば、桜井神社だが、その御祭神は、神直日神(かむなおひのかみ)・大直日神(おおなおひのかみ)・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)である。その言霊的意味は

 

http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/02-fcb5.html

 を見て欲しい。

 糸島市志摩の二見ヶ浦は当社の宇良宮(うらのみや)として、伊弉諾命(いざなぎのみこと)と、伊弉冉命(いざなみのみこと)を祀ってあるが、三重県伊勢志摩の二見浦にある夫婦岩の間から日が昇り福岡県糸島市志摩の二見ヶ浦にある夫婦岩の間に日が沈むのだという。言わなくてもわかるよね。真のご祭神は太陽なのだ。太陽は日であり、言霊原理の象徴である。

 君が代は「国歌」であるし、言霊的な意味は前に書いたので、やはり、数霊的な解釈も書いておこう。神霊に対する感謝もある。

 まず、君は伊弉諾(数霊5で「イ」)と伊邪那美(数霊50で「ヰ」)で、足すと55で、言霊「ギ」が導かれる。これは前に述べた通り1から10まで、足した数字でもあり、「義」という意味が出てくる。現代は大義、正義があやふやになっている時代であることを肝に命じて欲しい。国常立命は、東北に隠遁されたのはその政ごとが厳しかったからという寓話がある通り、「義」を守るのは厳しい側面もある。

 

 前置きはこれくらいにして、解読に入ろう。アリオンの詩文と同じ方法である。前の記事の三方陣を見ながら読んで欲しい。

君が代は

「キ」は数霊10、「ミ」は数霊35、足すと45(言霊リ→理、理を通すことが、義である。)そして45の十と一の位を足すと9である。「ヨ」は四角形。三方陣において九つの数字が揃うことは、外枠の十を意味する。二桁以上のそれぞれの位の数字を足すというのは、9で割ったあまりの数がその二桁以上の数字の全体の数霊を示すからだ。従って、前置きに書いた55より、5+5=10→1なので、ここで、すでに神、上より1が上段、9が下段で、足して「十なりて」である。

千代に八千代に

は言霊チで数霊20、4で散らばすのだから、数霊5が導かれ、が542(伏線として、5を中心に2の二乗が4)、「八千代に」は、8542(伏線として5を中心に四隅に2の倍数、2の三乗が8)、2の倍数を四隅に置(「ち」と読める)くと示している。

さざれ石の

2の三乗の「3」を受けて、3x3=5+4=9

いわおとなりて

「いわお」は、岩が5と8、「お」は数霊2にあたり、5+8+2=15なのだが、「と」で5を除くと向かい合った数字は10になると強調し、「なりて」で7が、3の向かい側になることを示唆している。

こけのむすまで

「こけ」が「九つの気」である。「むすまで」は伏線にあった2の倍数であり、3の倍数でもある6が4の向かい側に入る。前置きにある伊弉諾と伊邪那美で55→5+5=10で、10は神の意味である。神は義を重んじ、九つの数字が揃うと十全である。6で「結す」んでいるのだ。

 出来過ぎのように感じる方もいらっしゃるでしょうが、私がこんな手の込んだことをし組めるはずもない。全ては神の御心のままに。あるいは、「あるがまま」に。

2015年10月22日 (木)

宇佐神宮 その3

 たとえば、福岡県朝倉郡には、大己貴神社がありますが、このあたりはもと三輪町であり、鳥居の扁額には「大神神宮」とあり、「三輪大明神」とも呼ばれていました。奈良と同じ地名が多く、奈良から移住してきた人々がいたのでしょう。神功皇后が大物主の神託を受けて勧請したとのことなので、大三輪大神は、饒速日であると考えるのが自然です。

 

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写真は友人Mさん提供

 大黒様の像もありますが、大国主(大己貴)はあとから習合されたものと思います。また、「幸神」の石碑があるが、幸神=庚申(こうしん)は、饒速日のことではないでしょうか。この神社については、参拝しようと思うので、また後日、記事を書きたいと思います。ここでは、奈良から九州に移住してきた人々がいたということに留意したい。

 さて、豊の国(現在の大分県の大半)には奈良の大神氏(おおみわし)の流れを汲む大神氏(おがみし)が統治していました。のちに宇佐氏に引き継がれます。紀元700年代応神天皇のころ、この地に辛島氏が移住してきました。朝鮮半島経由で入ってきたユダヤ系民族である秦氏の系統です。辛島勝乙目(からしまのすぐりおとめ)に八幡神(ヤハタと読むと思う)が鷹の姿をして現れました。(鷹はどこかの国のシンボルです。)これが八幡神の起原であり、漢語読みではヤーエとなるので、ユダヤの神ではないかと推測することができます。宇佐神宮の境外社にも鷹居神社があるのです。

 しかしながら、辛島勝乙目は後に八幡神は素戔嗚であるとしています。辛島氏は大神氏に服従関係にあったし、荒ぶる神としての神話的な共通点は確かにあるように思います。ここで、ユダヤの神と日本の神の最初の統合があったように思います。

 社伝等によれば、欽明天皇32年(571年?)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとある。宇佐神宮をはじめとする八幡宮の大部分が応神天皇(誉田天皇)を祭神とするのはそのためと考えられる。(Wikipedia「宇佐神宮」より引用)

 この託宣が、事実であったかどうかわかりませんが、応神天皇は誉田別命(ほんだわけのみこと)の別称があり、領地を分けるととれるので、政治的な配慮がなされていると思います。むしろ、神功皇后とその息子という意味で「母子神」という性格を強く感じます。全く論理的ではないけれど、巫女さんの姿と共にある絵が頭の中に浮かんできて、それが狩野芳崖(かのう ほうがい)氏の「悲母観音」という絵であるとわかりました。

 宗像三女神の市杵島姫神もまた、弁才天、観自在菩薩(仏教において、言霊を司ると考えられる。)と習合されているようです。

 上記の大己貴神社のところで書いたように、神功皇后は大物主の巫女という側面があるので、仏教と習合されたとき八幡神は八幡大菩薩とされ、統合者また、日本の守り神としての饒速日が浮かび上がり、言霊原理のシンボルとして宇佐神宮が整っていることに驚きを感じるのです。

 そして、宇佐の音「ウサ」には、右と左(左には補佐の意味がある)にとれ、その意味が何重にも反映された歴史が感じられます。…大分県

 歴史的な部分にはたくさんのサイトを参考にしましたが、非常に煩雑になるので、興味のある方はキーワードを検索していただければと思います。また、歴史については、細かに追うのでなく、大まかに掴んでおくというスタンスです。

おわり、kono87

2015年10月13日 (火)

宇佐神宮 その2

 今回はまず、比売大神について、触れておきたいと思います。
 
 宇佐神宮は御許山(おもとさん)の麓にあり、女神が三つの石を目印に御許山に舞い降りたとの伝説があり、ここに宇佐神宮の奥宮大元神社があります。元々、御許山には大元山の字が当てられていたのでしょう。拝殿の前には八坂神社があります。比売大神 (ひめのおおかみ)は、宗像三女神が当てられていますが、この三女は大日孁貴 (おおひるめのむちのかみ)と素戔嗚の娘たちです。
 
 神武天皇がヤマトに東征(実は婿入)の前に訪れたとのことなので、比売大神は、元々、日向族の女王であった大日孁貴神と取るのが自然だと思います。この地で素戔嗚と暮らしていたのかもしれませんね。
 
 この二人の関係は「大本」(大元との発音の類似に注意)の出口ナオ開祖と出口王仁三郎聖師に反映されています。ナオさんをあくまでも開祖とし、王仁三郎師は教団の運営に携わっています。王仁三郎師を快く思っていなかった信者も多かったのです。王仁三郎師は一度、追い出されますが、ナオさんに王仁三郎が新しい世をひらく弥勒であるという神示がおりて、ようやく、教団が向かい入れたとの記憶があります。
 
 素戔嗚もまた、大日孁貴をあくまでも宗女とし、自身は饒速日とともに国造りに邁進していたのです。大日孁貴は巫女であり、側近の高御産巣日が編纂したホツマツタヱのフトマニ図をつかっていたものと思われます。また、大日孁貴はホツマツタヱのアマテルの幼名である「ウルヒギ」と読めるのです。日向族もスメラ族の一派なのですから、当然、言霊原理を保持していたでしょう。
 
 宇宙神霊ARIONによると素戔嗚率いる出雲族の武力に恐れをなして日向族はこの政略結婚に応じたと言っていましたが、「素戔嗚は国常立命でもある。」という言葉も残しており、少なくとも大日孁貴は素戔嗚が国常立命神の地上での人としての現れであると看破していたのではないかと推測します。国常立神は八皇子、素戔嗚も八王子です。
 
 魏志倭人伝が邪馬台国の卑弥呼と弟のことを、倭人から、以前起こったことを聞いた記事であるならば、大日孁貴と神素戔嗚である可能性があると思います。
 
 また、宗像三女神の多紀理毘売命(たきりびめ)が素戔嗚の養子の大国主の妻となったと伝えられています。大国主は大日孁貴と多紀理毘売命に懐柔され、出雲族の大王に仕立て上げられたとの説もあります。その為かどうか、饒速日の事跡が大国主に書き換えられていることが多いようです。
 
つづく、kono87

2015年10月 2日 (金)

宇佐神宮 その1

 さて、大分県宇佐市の宇佐神宮に行ってきました。

 

Torii Sanndoutrii

 

入口鳥居                      参道鳥居

 

Honndentorii Honden

 

上宮鳥居                                                                上宮(二之御殿)

 

Geguutrii Geguu

 

下宮鳥居                      下宮

主祭神

一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 誉田別尊(応神天皇)とする(十六八重表菊紋)

二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とする(三つ巴紋)

三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) - 別名として息長足姫命とも

いずれも上宮・下宮の両方に祭られている。五七桐(ごしちのきり・ごしちぎり)

 まず、参拝の前日巫女さんの姿をした神霊がお迎えに来られ御礼申し上げます。この神社は書かなければならないことが沢山ありますが、身辺の急変があり、霊媒体質なので、仕事をしながら、 成仏していない霊や悪気の憑依及び浄霊が起こるので、肉体的にもきついものがあり、記事のアップが、ゆっくりになります。

 本日は言霊原理のシンボルという視点から、書いてみたいと思います。複雑な歴史の変転がありながら、シンボル的には現在、このように整っていることに驚きを感じます。

 上宮も下宮も真ん中の二之御殿が大きく、男神と女神が脇を固めている造りになっており、拝殿から覗き見ると本殿の脇に五色の旗が掲げられているので、一目見てこれは五十音図になっていると感じました。

 男神がアイエオウの五母音を表し、女神が半母音ワヰヱヲウの五半母音にあたります。比売大神は、宗像三女神が当てられており、これは、言霊の運用にかかわる意味があり、具体的には音図上の四十子音(現象)にあたります。二之御殿が一番大きい理由であると思います。男神が左側になっているので、参拝者からは、逆さまの音図になるわけです。

 また、上宮と下宮が同じ造りになっていますが、下宮の方は、母音がウオエイアの並びになります。「下宮参らにゃ片参り」と伝えられてきたのは、2つ重ねた五十音図が完成形になるためです。上宮が国家の神、下宮が民衆の神とされてきたのもこのような理由に因ると思います。横の並びは「アタカマハラナヤサワ」であるでしょう。

Onzu

宗像三女神については、過去の記事から引用します。

多紀理毘売命(たきりびめ) - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖つ宮に祀られる。

 

たくさんの流れが早い言葉を音図に照らし合わせ、分析して、整理することです。沖つ宮とは、言葉を音図に置いて整理する過程です。

 

市寸島比売命(イチキシマヒメ) - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。中つ宮に祀られる。

 

斎(い)つくで、アオウエイの五母音を備えること。「さより」はまっすぐに縒って言葉の道理をとおすことです。中つ宮は、五母音のそれぞれの五つの立場から照らす過程です。

 

多岐都比売命(タギツヒメ) - 辺つ宮に祀られる。

 

タギツは、相手が何を言っているのか五母音のそれぞれの立場に分けることです。辺(へ)と宮とは、分けられた内容を検討する過程です。

 また、神紋からみても言霊に関連があるのは明確です。

十六八重表菊紋

菊の節句は古代より9月9日で、9x9=81で言霊の数及び、数霊にあたります。

太陽の紋章とも言われますが、太陽=霊(ヒ)を表し花芯と花びらで先天17音になりますが、32弁菊ととると子音の数になり、二つの意味の重なったシンボルです。

三つ巴紋

前にも説明しましたが、天照、素戔嗚、月読の要素の三権分立にあたり、言霊原理の運用を意味します。

五七桐紋

図案は5+7+5=17の花が先天十七音にあたり、3枚の葉が32子音の3つの島にあたります。

柏手(Wikipediaより要約引用)

 

「二拝二拍手一拝」など、3回以下のものは「短拍手・短手(みじかて)」と呼ばれる。出雲大社、宇佐八幡、弥彦神社の4回[2]、伊勢神宮の8回など、4回以上手を打つものは「長拍手・長手(ながて)」と呼ばれる。

二拝は倍(はえ)を意味し、同じ言霊を繰り返し言うことは、隅々まで活きわたらせる活性の効果があります。大本の出口王仁三郎聖師が推奨された「惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)」は「神様の御心のままに神霊の幸福をたまわりませ」という意味であり、二拝しながら、二度唱えるのを私も推奨させて頂きます。

宇佐神宮は四柏手ですが、これは左右5本ずつの指が4回重なるので、40になり、五十音図上の40子音を意味します。拝殿および本殿の構造に一致するすることにご納得頂けるでしょう。二柏手の場合は20になり、陽性のカサハタ行を言霊の代表として、略しているため短手と呼ばれるのです。

ちなみに伊勢の8柏手とは、横アタカマハラナヤサワ、縦アイエオウが縦に二段向かい合わせに積んだ子音の数80になります。宇佐神宮の場合は上宮と下宮に40ずつ分けているわけです。(上記音図参照)

最後の一拝は礼…。祈る人も祈られる神もない。ただ、感謝だけがあります。… 斎く

ちなみに私がかつて先生の日輪さまに授けられたのは、三拝三柏手三拝でした。これは三方陣、数霊を表します。なぜ、一二三と名付けられたか。今にになって実感することができます。

kono87

2015年8月24日 (月)

鷲尾愛宕神社

 福岡県福岡市西区の愛宕山(旧名 鷲尾山)にある鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)は、伊耶那岐尊・天忍穂耳尊を祀る鷲尾神社(鷲尾権現)と、火産霊神・伊耶那美尊を祀る愛宕神社(愛宕権現)が明治時代に合併したものである。

 景行天皇2年(西暦72年)、鷲尾山に伊耶那岐尊・天忍穂耳尊を祀ったのが鷲尾神社(鷲尾権現)の始まりとされる。鷲尾権現は英彦山権現と同神で、里人の説に曰く「初め英彦山権現自体も鷲尾山に祀られ、後に英彦山に移られた」

 英彦山(ひこさん)は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町とにまたがる標高1,199mの山である。耶馬日田英彦山国定公園の一部をなす。日本百景・日本二百名山の一つ。また、弥彦山(新潟県)・雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山に数えられる。

(Wikipediaより要約引用)

 祭神を見ると愛宕神社は言霊原理そのものを祀っているように思えるのだが、彦山の「ヒコ(日子)」とは饒速日命である。

2015年8月21日 (金)

飛驒一宮水無神社

 飛騨については、以前から神霊の留意を促すようなコンタクトがあり、いくつかの記事を書きましたが、瀬織津姫と饒速日命の関係の深さに気付かせるものであったと思います。
 
 飛驒一宮水無神社(みなしじんじゃ)のご祭神は、「御歳大神」で、これは饒速日命の本名の「トシ」からきています。「みなし」は言霊的には、御名鎭の意味になり、言葉の流れはよく川の瀬に喩えられることから、水の文字があてられたのではないかと思います。
 
 水無神社のHPには「中世の鎌倉時代以降には神仏習合が進み、神仏一体の両部神道として社僧を置き本地堂一宇を建てて釈迦像を安置し、水無(みなし)大菩薩を称するようになりました。」とあり、また、「第二次世界大戦末期の空襲や終戦直後の混乱を避けるため、熱田神宮の御神体が一時期当社へ疎開されました。これを御動座と言います。」とあるのも注目されます。
 
 国道41号は、愛知県名古屋市から飛騨高山を経て富山県富山市へ至ると書きましたが、富山県には射水神社(いみずじんじゃ)があり、祭神は瓊瓊杵尊となっていますが、おそらく、元は饒速日命だと思われます。
 
  「日本(ひのもと)の国」は、九州北部・中部、中国、近畿、四国地方から、日本列島の東北地方の西側に及んでいたと思います。九州の統合については、素戔嗚命と結婚したアマテラスの協力もあり、「ナ」の国の名前を残したかもしれません。秋田県には唐松山天日宮があります。関東地方については、よくわかりませんが、寒川神社がもしかしたらと思っています。山王とも呼ばれる大山咋神(おおやまくいのかみ)が大歳神の子とされています。また、猿田彦一族は饒速日命の片腕のような存在だったでしょう。日吉、日枝の名のつく神社は、饒速日命と関係がありそうです。
 
 名古屋の熱田神宮に祀られている日本武尊が、後年、未統合の地域を補充するかのように関東と東北地方の東側に東征しているのが出雲族の霊脈を物語っていて興味深いです。
 
 また、伊勢神宮に天照大神を祀ったのが倭姫で、その日本武尊に草薙剣を与えているのです。そして、木花咲耶姫(41番目の言霊ラを導く九の花図を示唆)を富士に祀っています。不二(フジ)=13(トミ)言霊ス。
 
kono87

2015年8月15日 (土)

夏越の祓

 筑紫郡那珂川町の現人神社の写真には夏越の祓(なごしのはらえ)の旗が見えますね。こちらのページより大祓の説明をしています。どうぞ、ご参照ください。
 
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-b9f7.html
 
 また、確かこの神社の紋も三つ巴だったと思いますが、言霊的にみると、天照大神(言霊エ、ア)素戔嗚命(言霊ウ、オ)、月読命(言霊オ、ア)要素の三権分立ということになります。
 
 真のスメラノミコトであった饒速日命が隠されていくに伴い、言霊原理も隠されていったわけです。
 
kono87

2015年8月 7日 (金)

福岡県神社巡り その7

福岡県福岡市東区箱崎筥崎宮(はこざきぐう)
 
Hako01
 
社名の「はこ」の字は円筒状の容器を意味する「筥」が正字であり、筒より、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神に繋がる。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。
 
日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。このとき、住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされる。
(Wikipediaより要約引用)
 
 八幡宇佐宮御託宣集によるとこの時神託を下ろした天照大神は「伊勢国五十鈴宮に居す所の神なり」と名乗ったという。これが、元飛騨高山王朝の瀬織津姫だったと思います。撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と呼ばれる時もあるようですが、神功皇后も三人くらいの人物が習合されており、この名前は素戔嗚命と結婚したアマテラスの名前でではないかと思います。
 
 五十鈴とは言霊五十音のことですから、言霊原理は縄文時代から伝わる知識であったと思われます。
 
 そして、八幡神は通常、応神天皇とされますが、『延喜式神名帳』には「八幡大菩薩筥崎宮一座」と記載されており、八幡大菩薩と言うとき、前に述べたように饒速日命のことです。物部氏の石上神宮の「いそ」も言霊五十音のことです。住吉三神の言霊的意味は「身禊」の章03で詳しく説明しています。
 
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/03-bfc0.html
 
 筑紫郡那珂川町の現人神社には、この住吉三神が祀られています。そして、現人とはスメラノミコトを指し、饒速日のことであるように思います。福岡県福岡市早良区と佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6mの脊振山には、二体の龍が降りたとの伝説があり、素戔嗚命と饒速日命のことでしょう。幻の九州王朝とはこの二人で造ったものだと思います。
 
Arahito
 
今回の写真は実際に行きましたが、カメラを持っていなかったので、スマホの写真を友人より提供してもらいました。
 
kono87

2015年7月25日 (土)

福岡県神社巡り その6

福岡県久留米市高良大社(こうらたいしゃ) 0630/15参拝
 
「筑後国一宮」に相応しい荘厳な社である。
 
Kouratorii Kourasanmon Kourahonden
 
祭神
 
正殿:高良玉垂命 - 神紋は「横木瓜」
左殿:八幡大神 - 神紋は「右三巴」
右殿:住吉大神 - 神紋は「五七桐」
 
 主祭神の高良玉垂命については、武内宿禰説、彦火火出見尊説、景行天皇説、物部祖神説、饒速日命説など、多くの説があったという。
 
 「こうら」は亀の甲羅と同音であり、出雲族の象徴である。訓読みすると「たから」より宝であり、同じ久留米市の大石神社に行ってきたばかりだ。さらに玉垂とはこの干珠(かんじゅ)=潮干珠(しおひるたま)、満珠(まんじゅ)=潮満珠(しおみつたま)を指す。潮干珠は濁点のつかないナマヤラ四行の陰の言霊で、塩満珠は濁点のつく陽の言霊カサタハ四行のことだ。高良玉垂は言霊を使いこなす神であり、スメラノミコトである饒速日命のことだろう。さらに言うと高山とはスメラノミコトを指し、言霊はラである。
 
 私は金色に輝く瀬織津姫と書いたとき、古代飛騨王朝の世界天皇だった姫を指しており、この方が、元祖天照神といってもよい。この時北極星はベガ星だったかもしれない。素戔嗚命の妻となったアマテラスのことではありません。国道41号は、愛知県名古屋市から飛騨高山を経て富山県富山市へ至る一般国道で41番目の言霊は「ラ」です。饒速日が「天照」の称号を持つのは、この縄文時代の霊統を引きついだからだと思います。おそらくその家系の姫と婚姻関係を結んだのではないでしょうか?
 
 八幡大神は元々ユダヤの神ヤーベのことで、神の字のつく三人の天皇、神武、崇神、応神天皇が信仰していた神だった。(その後、いろいろと習合されており、三つ巴紋の、一つの解釈として、出雲族、日向族、ユダヤを指していると思います。)日本(ひのもと)の「天照」であった饒速日は、大物主として、日本の守り神となって巫女たちに神託を降ろしていました。応神天皇の母とされる神功皇后と呼ばれている人物もその一人で、住吉大神については言霊絡みであり、いずれまた、他の神社のところで説明します。
 
kono87

2015年7月24日 (金)

福岡県神社巡り その5

福岡県久留米市大石町 伊勢天照御祖神社(0630/15参拝)
 
大石太神宮ともいわれ、天照国照彦天火明尊。『先代旧事本記』の天孫本記は、この神のまたの名を饒速日命・天火明命などといい、高天原から河内の哮峯に天降ったのち大和の鳥見に遷り、長髄彦の妹を娶って物部氏の祖宇麻志麻治命を生む、と伝える。(案内板より引用)
 
 この神社は鳥居の扁額に「佐岐神社」とあり、伊勢天照御祖神社の名前は明治時代につけられたようだ。佐岐神社は出雲系の神社だが、猿田彦を祀っているところもある。猿田彦と呼ばれる人物の一人は饒速日の息子との説もある。
 
鳥居
 
Oishitorii
 
 
本殿と床下の石組み
 
Oishi01 Ishigumi
 
 この石組みは饒速日を祀る神社に特徴的に見られるように思う。
 
kono87

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