数霊、言霊

2017年9月27日 (水)

細石神社に行けなかった話

 昨日(9/26/2017)は、福岡県糸島市の細石(さざれいし)神社に行く予定だったのだが、中止になった。祭神は磐長姫と木花開耶姫。前に木花開耶姫を祀る富士山本宮浅間神社が、初めて神霊に呼ばれて行った神社であったので楽しみにしていた。

 私が昔、「ひふみ」という名を日輪さんからいただいて、最初に参拝した神社は、千葉県成田市の麻賀多神社(祭神は和久産巣日神)であった。和久産巣日神は音図のことであり、音図は田とも言う。成田(ナリタ)市にあることに気づいて欲しい。

 

 社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本建尊が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/麻賀多神社)より引用

 これをわざわざ引用したのは、今はまだ詳しく言えないが、集まりつつある仲間たちに知らせるためである。

 その敷地内右側に隣接されているのがひふみ神示あるいは日月神示と呼ばれるものが降りた「天之日津久神社」である。参拝の時、私は「何か奇瑞をお見せください。」と「天之日津久神」にお願いすると、直ちに雉が3回鳴き、続いて犬が3回吠えた。そして、私は申年生まれである。これが意味するのはおとぎ話「桃太郎」であり、3x3に留意して欲しい。

 数日後、木花開耶姫の神霊により、富士山本宮浅間神社の参拝を依頼された。行って見ると、果たしてそこには、「桃太郎日本一」の「のぼり」が掲げられていたのである。そして、太鼓の音でもって迎えられたのを覚えている。

 さて、細石神社には、行けなかったが、神霊は直感を降ろしてきた。

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

いわおとなりて

こけのむすまで

 「さざれ」3X3を意味し、「石」は5+4で、9つの数字の目である。この部分が「木花開耶姫」である。「いわお」は、岩が5と8、「お」は数霊2にあたり、5+8+2=15になる。これは三方陣

「618

 753

 294」

の「米と井の字」の足して15になる8本のラインのことである。この部分が「磐長姫」である。

「こけ」が「九つの気」である。実は歌詞全体に数字が散りばめられているのが、分かる人には分かるであろう。全部は書かないでおこう。

 そして、日月神示にある「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」は「足して15になる8本のラインがある。」という意味も含んでいる。

2017年7月19日 (水)

セフィロトの樹について

Sephirothic_tree_2

 

 上記の表はセフィロトの樹をまとめたものだが、補足すべき点は、次のとおりである。

アインとアイン・ソフとアイン・ソフ・オウル [Ain Soph Aur]

・アインは無と訳され、0で表される。

・アイン・ソフは無限と訳され、00で表される。

・アイン・ソフ・オウルは無限光と訳され、000で表される。アイン・

ソフ・アウルと表記されることもある。

・アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じた。

 

3つの柱

 

・ビナー、ゲブラー、ホドからなる左の柱は峻厳の柱と呼ばれる。

・コクマー、ケセド、ネツァクからなる右の柱は慈悲の柱と呼ばれる。

・ケテル、ティファレト、イェソド、マルクトからなる中央の柱は均衡の柱と呼ばれる。

 

3つ組

 

・ケテル、コクマー、ビナーからなる三角形は至高の三角形と呼ばれる。ロゴスの三角形と呼ばれることもある。

・ケセド、ゲブラー、ティファレトからなる三角形は倫理的三角形と呼ばれる。

・ネツァク、ホド、イェソドからなる三角形は星幽的三角形と呼ばれる。魔術的三角形と呼ばれることもある。

ダアト(Daath、知識と訳される)

第3ビナーから第4ケセドのセフィラの間に隠されたダアトというセフィラがある。(上図では点線丸になっていて、浮き上がって見えるが、実際には隠れている。)

数字は00/11 、色は銀, 惑星は天王星を象徴し、知識と訳される。他のセフィラとは次元が異なる。ダアトは生命の樹の深淵の上に存在する。他のセフィラの完全体・共有体という説もある。隠された意味は悟り、気づき、神が普遍的な物に隠し賢い者は試練として見つけようとした「神の真意」という意味である。

00/11は、00もしくは11という意味で良いのだろうか。00は無限の意味で良いだろう。11は第十一次元を指し、その色霊は、銀で良いと思う。前にARIONの解読で、「月の銀の粉」という表現があった。月は数霊2を示していたが、1+1=2になるからだ。

 細かくは https://ja.wikipedia.org/wiki/生命の樹 を参照して頂きたいが注意すべき点は、数字の色に関しては、宝石と関連づけられており、必ずしも色霊と同じになっていない。数霊10については、透明な魂に輝く虹色で良いと思う。他の数霊と色霊に以前の記事を参照して頂きたい。以前のARIONの解読と「ヨハネの黙示録」の解読に整合性があるので、それで正しいだろう。

 

 22本のパスは、基本的には加算、乗算を成り立たせるラインであるでしょう。例えば、1+2=3、2+3=5、2+5=7も三角形の配置になる。2x3=6、3x3=9も三角形、2x2=4は直線である。

 パスの名称は、タロットカードの大アルカナに関連づけられており、アレフ(愚者)を、神の象徴(王冠)を隠し持った求道者と捉えれば、霊的進化の過程で、十禅図の西洋版ともとれそうです。

 ここからは、強く主張するものでなく、歴史ロマンと捉えて欲しいのですが、皆さんはセフィロトの樹の図をみて、何を連想されるでしょうか? 多分、よく西洋絵画で見られる3本の燭台はその象徴でしょう。そして、亀のようにも見えます。どうやら、西洋でも東洋でも亀、もしくは甲羅は数霊の象徴であるようです。

 そこで、セフィロトの樹を立体化して「モノリス(一枚岩)を製作しようとしたらどうなるか?」 と夢想していると、既にこの日本にある「あるもの」を連想しました。それは自然の花崗岩を利用しているため、もっと歪(いびつ)であるし、どうやら、製造途中で放棄されたようですが、だいたいこんな形をしています。

Monolith

 赤の斜線部分は窪みになっていますが、数字をつけた部分は、11枚のプレートのように削られています。そうです、奈良の益田岩船(ますだのいわふね)です。

 関連サイト: https://ja.wikipedia.org/wiki/益田岩船

 聖徳太子の時代、朝廷によるユダヤ系の人々の雇用があったと推測されますが、彼らはシルクロードを商売しながら日本に渡って来て、芳醇な資金源でもあったことでしょう。その中には優秀な石工技師たちもいたのではないでしょうか? (フリー・メイソンを連想。)

 

 図の数字の加算、乗算の答えのプレートの位置を確認すると面白いことになっています。00は無限(第十一次元)を意味し、このモノリスの内外すべてを包容しています。10は神の王国をこの世にもたらすことを意味し、地面に向かってほぼ垂直に削られています。図の西側を前方とすれば、遥か西を辿っていくと現在のイスラエル、ゴラン高原の西側あたりを指しています。

 

 また、赤字のプレート群の上部には、蓋をつけようとしたか、縁が彫られていますが、エジプトのピラミッドのように、身分の高い人の永遠の生命あるいは再生を願って埋葬しようとしても、おかしくはないでしょう。

 

 そして、東北ぼぼ45°の位置には、三輪山の山頂が、あります。大和時代とは時期が異なるため、二等辺三角形と直角三角形を作るわけにはいきませんが、大物主にはダビデあるいはユダヤの神が習合されている可能性を示唆します。

 

7/28/2017 一部修正加筆

2017年3月15日 (水)

古事記と濁音・半濁音 その3

 殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に胸 に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の 神。次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に左の手に成りませる神の名は、志芸 (しぎ)山津見の神。次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に左の足に成りませ る神の名は、原(はら)山津見の神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。かれ斬りたま へる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

 

 先に伊耶那岐の命は五十音言霊によって構成された迦具土の神を十拳剣で分析・検討して、斬った主 体側の真理として建御雷の男の神という人間精神の理想構造を自覚いたしました。今度は十拳剣で斬ら れて殺された客体である迦具土の神からは何が生まれ出て来るのでしょうか。迦具土の神とは言霊五十 音を粘土板に彫り刻んだ神代表音文字の事でありますから、斬られる客体である迦具土の神から表われ るのは神代表音文字の原理・道理の事であります。言い換えますと、一つ一つの表音神代文字が言霊の原理の中のどの部分を強調し、どの様な表現を目的として作られたか、の分析・検討であります。

 

 古事記の子音創生の所で説明されました大山津見の神は言霊ハ、即ち言葉の事でありました。大山津 見の山とは八間のことで、図形で表わされる八つの父韻の活動する図式であり、この父韻の活動によっ て言葉が現われて来ました。山津見とは八間の原理から(山)出て来て(津)形となって現われたもの (見)の意でありました。大山津見の神は言霊ハとして言葉を意味しますが、ここに登場する八つの山 津見の神は、言葉を更に文字に表わしたものの謂であります。その神代表音文字の作り方に古事記は代 表的なものとして八種の文字原理を挙げております。ここに登場します正鹿山津見、淤縢山津見、奥山 津見、闇山津見、志芸山津見、羽山津見、原山津見、戸山津見の八神がそれであります。

 

 竹内古文献等の古文書、または神社、仏閣に伝わる日本の古代文字を調べますと、六十種類以上の神 代表音文字が存在すると伝えられています。また奈良県天理市の石上神宮に伝わる十種 (とくさ)の神 宝(かむたから)の中の蛇の比札(ひれ)・百足(むかで)の比札・蜂の比札・種々物(くさぐさも の)の比札といわれるものは明らかに古代表音文字であります。比札とは霊顕(ひれ)とも書き、霊 (ひ)は言霊であり、顕(れ)は現われるで文字である事を示しています。ただこれ等数十種類の神代文字が、古事記に示される八種の山津見の神の文字作成法の何(いず)れに属するものなのか、の研究が進んでいません。言霊学研究の先輩である山腰明将氏、小笠原孝次氏と継承された古代文字に関する 見解を踏襲してお伝えいたしますが、今回は簡単な図表形式にして示しました。

 

Photo

正鹿山津見(まさかやまつみ)の神

 大山津見の神は言霊ハであり、迦具土の神の頭に成った神なので、ア行であり、正鹿(まさか)は真性。言霊原理がそのまま表現される文字の作り方ということなので、ハ(葉)の開始形である言霊パ(pa)でしょう。

淤縢(おど)山津見の神

 淤縢(おど)はオ行を示唆し、「胸」となりますと、ホッとする言葉があるように息を保つ場所なので、「ホ」の開始形の言霊ポ(Po)であるでしょう。

奥(おく)山津見の神

 「奥はオを繰(お)る。」であれば経過を意味し、また、文字の調和は描(えが)く事につながりますから、エ行であり、「へ」の開始形の言霊ぺ(Pe)でしょう。

闇(くら)山津見の神

 闇(くら)はカ行を示唆し、言葉が文字に変化したものを意味するので、化身(けしん)という言葉もありますから、「ケ」の終止形の言霊ゲでしょう。

志芸 (しぎ)山津見の神

 文字の書き方の技術に関することですから、手段ということになります。「テ」の終止形の言霊デでしょう。

羽(は)山津見の神

 右の手が身切り(部分)を意味し、言霊の一つ一つの内容を強調するので、言霊べ(部)でしょう。

原山津見の神

 原は言霊図。言霊図全体の運用法を意味するので、「セ」(瀬)の終止形言霊ぜでしょう。

戸山津見の神

 言霊図の十列の区別がよく分るような文字構成法を意味するので、言霊は列ごとに連なっており、言霊「ヅ」でしょう。

 かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

 迦具土の神の頚(くび)を十拳剣で斬り、斬る主体である伊耶那岐の命の側に建御雷の男の神という 人間精神理想の構造原理が自覚され、また斬られた客体側に神代表音文字の八種の構成原理が発見されました。尾羽張(おはばり)とは鳥の尾羽が末広がりになる姿で、この十拳剣を活用すれば人間社会の 文明は彌栄(いやさか)に発展する事が可能となります。その為にこの十拳剣の判断力(分析・総合) に天の尾羽張り、またの名伊都の尾羽張の名が付けられのであります。天(あめ)とは先天または天与の意であり、伊都(いつ)とは御稜威(みいず)の意であります。御稜威とは力または権威という事です。

 

 ここまでは、原則として神名が言霊を示していましたが、神刀名をもって、判断力を意味しています。分析、統合する力とは物事を具体化する力となります。具には「物事に利用する材料となるもの、手段、手立て。」の意味があります。天の尾羽張(おはばり)またの名は伊都(いつ)の尾羽張は言霊グです。

 女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね) 

 

 以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。

 八つの神代表音文字の構成原理と言霊グ(具)の合計九つをもって、女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね)の括りで良いと思います。

 以上、濁音・半濁音二十五音が出揃いました。言霊の会さんの解読を礎にしたものだとご納得いただけるのではないでしょうか。以下の表にまとめました。

島  名

言 霊

古 事 記 神 名

吉備の児島

言霊ガ

言霊ゴ

言霊バ

言霊ボ

言霊ダ

言霊ド

金山毘古神(かなやまびこ)の神

金山比売神(かなやまひめ)の神

波邇夜須毘古神(はにやすびこ)の神

弥都波能売神(やつはのめ)の神

和久産巣日神(わくむすび)の神

豊宇気比売神(とようけひめ)の神

小豆島

言霊ザ

言霊ゾ

泣沢女神(なきさわめ)の神

大野手比売(おおのでひめ)の神

大島(大多麻流別)

言霊ヂ

言霊ギ

言霊ジ

言霊ビ

言霊ピ

 

言霊ズ

 

 

言霊プ

言霊ブ

石柝(いはさく)の神

根柝(ねさく)の神」

石筒(いはつつ)の男(を)の神

甕速日(みかはやひ)の神

樋速日(ひはやひ)の神

建御雷(たけみかづち)の男の神

建布都(たけふつ) の神

豊(とよ)布都の神

 

闇淤加美(くらおかみ)の神

闇御津羽(くらみつは)の神

姫島(天一根)

言霊パ

言霊ポ

言霊ぺ

言霊ゲ

言霊デ

言霊べ

言霊ぜ

言霊ヅ

言霊グ

正鹿山津見(まさかやまつみ)の神

淤縢(おど)山津見の神

奥(おく)山津見の神

闇(くら)山津見の神

志芸 (しぎ)山津見の神

羽(は)山津見の神

原山津見の神

戸山津見の神

天の尾羽張(おはばり)

伊都(いつ)の尾羽張

 

 

 補足: 濁音・半濁音に関わる「島生み」について、古事記では意外にサラリと書いてあります。少々、バラけましたので、該当箇所を引用しておきます。

 然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。

 

 「次に知珂(ちか)の島を…」以降は言霊の運用にあたる部分ですが、何か閃くことがあれば、また書くかもしれません。

 

 このシリーズ、終わり。

2017年3月12日 (日)

古事記と濁音・半濁音 その2

 余談ですが、前回の伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひ とつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、」は、言霊キが数霊10であることを思い出すと非常に象徴的に感じます。1から10までを足すと55であり、言霊イ(5)と言霊ヰ(50)を足しても55になり、「言霊ギを」想起させるからです。「子の一木」とは言霊「ン」を指しますが、「運ぶ」という意味があります。文字は言霊を運びます。また、数霊10(キ)にも数霊81(ン)にも「すべて」という意味があります。

 かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との 堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

 

 出雲とは出る雲と書きます。大空の中にむくむくと湧き出る雲と言えば、心の先天構造の中に人間の根本智性である父韻が思い出されます。伯伎の国と言えば母なる気(木)で、アオウエイ五母音を指し ます。聖書で謂う生命の樹のことです。比婆(ひば)とは霊(ひ)の葉で言霊、特に言霊子音を言いま す。子音は光の言葉とも言われます。

 

 伊耶那岐の命と伊耶那美の命は協力して三十二の子音言霊を生み、子種がなくなり、高天原での仕事 をやり終えた伊耶那美の命は何処に葬られているか、と申しますと、父韻と母音で作られている三十二個の子音の中に隠されて葬られているよ、という意味であります。子音言霊が高天原から去って行った 伊耶那美の神の忘れ形見または名残のもの、という事です。

 

 古事記の文章を先に進めます。

 

 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬り たまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつ きて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)走(たばし)りつきて成りま せる神の名は、甕速日(みかはやひ)の神。次に樋速日(ひはやひ)の神。次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ) の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上 に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。

 菅曽音図に基づいた五十音言霊の検討の作業は更に続きます。

 ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。

 

 ここに初めて古事記の文章に剣という言葉が出て来ました。古事記のみならず、各神話や宗教書の中に出る剣とは物を斬るための道具の事ではなく、頭の中で物事の道理・性質等を検討する人間天与の判 断力の事を言います。形のある剣はその表徴物であります。この判断力に三種類があり、八拳、九拳、 十拳(やつか、ここのつか、とつか)の剣です。

 

 十拳の剣の判断とはどんな判断かと申しますと次の様であります。十拳の剣とは人の握り拳(こぶ )を十個並べた長さの剣という事ですが、これは勿論比喩であります。実は物事を十数を以て分割 し、検討する判断力のことです。実際にはどういう判断かと言いますと、十数とは音図の横の列がア・ タカマハラナヤサ・ワの十言霊が並ぶ天津太祝詞音図(後章登場)と呼ばれる五十音図の内容である人 間の精神構造を鏡として行なわれる判断の事を言います。この判断力は主として伊耶那岐の神または天照大神が用いる判断力であります。後程詳しく説明されます。

 

 迦具土の神とは前に出ました火()の夜芸速男(やぎきやを)の神・言霊ンの別名であります。古代表音神名(かな)文字のことです。頚(くび)を斬る、という頚とは組霊(くび)の意で、霊は言霊 でありますから、組霊(くび)とは五十音図、ここでは菅曽音図の事となります。十拳の剣で迦具土の 頚を斬ったという事は、表音神名文字を組んで作った菅曽音図を十拳の剣という人間天与の判断力で分 析・検討を始めたという事になります。という事は、今までは言霊の個々について検討し、これからは菅曽音図という人間精神の全構造について、即ち人間の全人格の構造についての分析・検討が行なわれる事になるという訳であります。

 ここにその御刀(みはかし)の(さき)に(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を) の神。

 

 御刀の前に著ける血、とは迦具土の頚(くび)である言霊五十音図を十拳の剣で分析・検討して人の心の構造がどの様になっているか、を調べて行き、御刀の前(さき)によって斬ったことにより判明した道理(血(ち))ということ。ここで御刀の「前」と殊更に言いましたのは、次の文章に御刀の「本 (もと)」、御刀の「手上(たがみ)」と分析・検討の作業が進展して行く様子を示したものであります。

 湯津石村の湯津(ゆず)とは五百個(いほつ)の謎です。五百個(いほつ)とはどういう事かと申し ますと、五母音の配列である菅曽音図の意味を基調として五十音図を作り、この五十音図を上下にとっ た百音図の事を五百個と申します。石村(いはむら)とは五十葉叢(いはむら)の意。湯津石村の全部 で五百個の上半分の五十音図の意となります。湯津石村に走(たばし)りつきての走りつきてとは「......と結ばれて」または「......と関連し、参照されて」の意となります。

 

 成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神

 

  五十音図を分析して先ず分ったのは石柝(いはさく)の神ということです。石柝とは五葉裂(いはさ)くの意。五十音図が縦にアオウエイの五段階の界層に分かれていることが分った、という事であり ます。即ち人間の心が住む精神宇宙は五つの次元が畳(たたな)わっている状態の構造であることを確認したのでした。人間の精神に関係する一切のものはこの五つの次元宇宙から表れ出て来ます。これ以外のものは存在しません。「五葉裂く」の道理は人類の宗教・哲学の基本です。

 

 ~中略~

 

 「イハサク」のイにより、イ行であることがわかりますが、この段の冒頭の「御刀の前に著ける血」という表現で「チ」に動きがあったことを示唆しています。識別されたものという意味で、チ(知)の終了形である言霊ヂ「石柝(いはさく)の神」です。

 次に根柝(ねさく)の神 

 根柝(ねさく)は根裂(ねさ)くの事です。今検討している音図は菅曽音図のことで、母音がアオウエイと縦に並びます。その五母音の一番下は言霊イであり、五母音を一本の木と見れば根に 当ります。その根の五十音の列は言霊イとヰの間に八つの父韻が 横に並んでいます。その根を裂けば、八つの父韻の並び方の順序と、その順序に示されるように母音に始まり、半母音に終る現象 の移り方がより確認されます。

 

 木の根で、イ行の気(き)の移りかたと受け取れ、また、ネ(音)より息(イキ)による発声を示唆しますので、言霊ギ「根柝(ねさく)の神」です。

 

 次に石筒(いはつつ)の男の神

 

 石筒は五葉筒(いはつつ)または五十葉筒の意です。五十音図 は縦に五母音、五半母音または五つの子音が並び、これが順序よく人の心の変化・進展の相を示しています。また五十葉筒と解釈すれば、五十音図が縦に横に同様に変化・進展する相を知ること が出来ます。筒とはその変化・進展の相が一つのチャンネルの如く続いて連なっている様子を表わします。石筒の男 の神の男()の字が附いているのは、その変化・ 進展の相が確認出来る働きを示すの意であります

 

 「変化・進展の相」がわかるとは「時相」のことですから、言霊ジ「石筒(いはつつ)の男(を)の神」です。

 次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名 は、甕速日(みかはやひ)の神。

 

 御刀の「前(さき)」から今度は「本(もと)」と五十音図表の整理・検討の段階が進展して来た事 を示しています。始めに五十個の言霊を整理し、並べて和久産巣日の神なる音図、即ち菅曽音図を手にしました。次にその初歩的な菅曽音図を分析することによって五十音言霊自体で構成されている人間精神の構造を確認する作業が進んでいます。その人間の精神構造である道理()が「湯津石村に走り着 きて」即ち五十音言霊図に参照されて、確認されましたのが甕速日の神という事であります。

 

 甕速日の甕(みか)とは五十個の言霊を粘土板に刻んで素焼きにした五十音図の事です。速日の日は 言霊、速とは一目で分るようにする事の意。甕速日全体で五十音言霊図全体の内容・意味が一目で分る ようになっている事の確認という事です。音図の内容の確認には大きく別けて二通りがあります。一つは静的状態の観察です。五十音言霊がその音図全体で何を表現しているか、を知ることです。どういう事かと申しますと、この五十音言霊図は菅曽音図か、金木音図か、または......と、この五十個の言霊が音図に集められて、全体で何が分るか、ということの確認です。これを静的観察と言います。

 

 一目で分るようにするとはパッとみてわかるという意味なので、「ピ」か「ビ」か迷うところですが、「甕(みか)とは五十個の言霊を粘土板に刻んで素焼きにした五十音図の事」であり、音図全体の中の言霊の静的観察なので、言霊ピ(Bi)「甕速日(みかはやひ)の神」です。

 

 次に樋速日(ひはやひ)の神

 

  ()速日の樋()とは水を流す道具です。この事から樋速日とは言霊()が一目で() ういう変化・進展の相を示しているか、が分ることの確認という意となります。五十音言霊図では母音五つからそれぞれの半母音に渡す子音の実相の動き・変化の流れが一目で確認出来る事を言います。甕速日の静に対して、樋速日は動的な変化の確認という事が出来ます。

 

 ここで速日(はやひ)なる言葉が出て来ましたが、同様の意味の言葉に「早振り」があります。言霊 の立場で物事を見ますと、その性状や内容が一目で分ることを言います。枕詞の「千早振る」も同様で あります。

 

 言霊の発する変化・進展の相動的な変化を意味しますので、言霊ビ(Pi)「樋速日(ひはやひ)の神」です。

 ここまでは、「ニ」の陽性音「チキシヒ」の順番で、濁音及び半濁音が並んでいます。

 

次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ) の神、またの名は豊(とよ) 布都の神。

 

 建御雷の建(たけ)とは田気(たけ)の意です。田とは五十音言霊図のことで、その気()ですか ら言霊を指します。雷(いかづち)とは五十神土(いかつち)の意で、五十音を粘土板に刻んだものです。自然現象としての雷は、天に稲妻 (いなづま)が光るとゴロゴロと雷鳴が轟(とどろ)きます。同 様に人間の言葉も精神の先天構造が活動を起すと、言葉という現象が起こります。言葉は神鳴りです。 この神鳴りには五十個の要素と五十通りの基本的変化があります。この五十の要素の言霊と五十通りの 変化の相とを整理・点検して最初に和久産巣日という五十音図(天津菅曽音図)にまとめました。次に その音図を十拳剣という主体の判断力で分析・検討して行き、石柝 (いはさく)、根柝(ねさく)、石 (いはつつ)の男と検討が進展し、甕速日(みかはやひ)という心の静的構造と樋速日という心の動 的構造が明らかにされました。その結果として五十音言霊によって組織された人間の心の理想の構造が 点検の主体である伊耶那岐の命の心の中に完成・自覚されたのであります。この精神構造を建御雷の男の神と言います。

 

 人間精神の理想として建御雷の男の神という五十音図を自覚しました。これを建御雷の神と書かず、 下に「男の神」と附したのは何故なのでしょうか。初め伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と共同で三十 二の子音を生みます。それを粘土板に書いて火の迦具土の神という神代表音文字に表わしました。そこで伊耶那美の命の客体としての高天原の仕事は終り、美の命は高天原から客観世界の予母津国に去って 行き、残る五十音の整理・検討は主体である岐の命の仕事となります。そこで整理作業によって最初に 得た菅曽音図を主体の判断力である十拳剣で分析・点検して人間精神の最高理想構造である建御雷の男 の神という音図の自覚を得ました。しかし人間の心の理想構造の自覚と申しましても、それは飽くまで 主体である伊耶那岐の命の側に自覚された真理であって、何時の時代、何処の場所、如何なる物事に適 用しても通用するという客観的證明をまだ経たものではありません。主観内のみの真理であります。そ の事を明示するために、太安万侶はこの自覚構造に建御雷の男の神と男の字を附けたのであります。

 

 またの名は建布都(たけふつ) の神、またの名は豊(とよ)布都の神。 

 建布都(たけふつ)の建は田()(言霊図)の気()で言霊の事。布都(ふつ)とは都(みやこ)を布()くの意。都とは言霊を以て組織した最高の精神構造、またはその精神によって文明創造 の政治・教育を司る教庁の事でもあります。豊布都の豊(とよ)は十四(とよ)で、先天構造原理をい います。そこで建布都とは言霊を以て、豊布都は言霊の先天構造原理を以て組織された最高の人間精神 の事であり、建御雷の男の神と同意義であります。建布都・豊布都は奈良県天理市の石土(いそのか )神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の神剣の名でもあります。

 

「建御雷(たけみかづち)の男の神」、「またの名は建布都(たけふつ) の神、

「またの名は豊(とよ)布都の神」、これらは音図のことですから言霊ズであるでしょう。

 

 次に御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。

 

  伊耶那岐・美の二神は共同で三十二の子音を生み、次に父母子音言霊四十九個を粘土板上に神代表音文字として刻み、素焼にして五十番目の言霊ンを得ました。子種がなくなった伊耶那美の命はここで高 天原での役目を終え、客観世界である予母津(よもつ)国に去って行きます。主観である伊耶那岐の命 はこれより言霊五十音を刻んだ埴土(はに)を整理する作業を進め、先ず最初に和久産巣日(わくむす び)の神なる五十音図(菅曽[すがそ]音図)にまとめました。次に岐の命は和久産巣日の神とまとま った五十音図で示される人間の精神構造を十拳剣で分析・総合することによって社会を創造するための 理想の精神構造を主体的に自覚いたしました。この主体内にて自覚された理想の精神構造を建御雷(た けみかつち)の男(を)の神と言います。次に岐の命はこの建御雷の男の神の活用法の検討に入ることとなります。

 

 伊耶那岐の命の人間精神構造の検討の仕事が、初めに剣の「前(さき)」から「本」となり、此処で は「御刀の手上(たがみ)」となり、検討の作業が進展して来た事を物語ります。ただ「前」と「本」 とが「湯津石村に走りつきて」とありますのが、「手俣より漏き出て成りませる」と変わっているのは 何故でしょうか。その理由は成り出でます神名闇淤加美の神、闇御津羽の神に関係しております。これ について説明いたします。

 

 伊耶那岐の命は菅曽音図の頚(くび)を斬り、人間の精神構造を検討するのに十拳剣を用いました。 それはア・タカマハラナヤサ・ワの十数による分析・検討であります。この様に言霊によって示される 構造を数の概念を以て検討する時、この数を数霊と言います。この十の数霊(かずたま)による検討は 左右の手の指の操作で行う事が出来、その操作を御手繰(みてぐり)と呼びます。指を一本づつ「一、 二、三、四......」と握ったり、「十、九、八、七......」と起したりする方法です。「御刀の手上(たが み)に集まる血、手俣より漏き出て......」とありますのは、以上の御手繰りによる数霊の操作を表わし たものなのであります。太安万侶の機智の素晴らしさが窺える所であります。

 御手繰りの操作に二通りがあります。開いた十本の指を一つ二つと次々に折り、握って行く事、それ によって宇宙に於ける一切の現象の道理を一つ二つと理解して行き、指十本を握り終った時、その現象 の法則をすべて把握した事になります。この道理の把握の操作を闇淤加美(くらおかみ)と言います。 十本の指を順に繰って(暗[くら])噛(か)み合わせる(淤加美[おかみ])の意です。そして十本 の指全部を握った姿を昔幣(にぎて)と呼びました。握手(にぎて)の意です。また物事の道理一切を掌握した形、即ち調和の姿でありますので、和幣(にぎて)とも書きました。紙に印刷した金のことを 紙幣と言います。金は世の中の物の価値の一切を掌握したものであるからであります。また昔、子供は お金の事を「握々(にぎにぎ)」と呼んだ時代がありました。

 

 御手繰のもう一つの操作の仕方を闇御津羽と言います。闇淤加美(くらみづは)とは反対に、握った十本の指を順に一本ずつ「十、九、八、七......」と順に起して行く操作です。指十本を闇淤加美として 掌握した物事の道理を、今度は指を一本々々順に起して行き、現実世界に適用・活用して、第一 条......、第二条......と規律として、また法律として社会の掟 (おきて)を制定する事であります。掟とは起手の意味です。闇御津羽とは言霊を指を一本々々起して行く様に繰って(闇)鳥の尾羽が広がるよ うに(羽)、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず])を活用・発展させて行く事の意 であります。

 

 伊耶那岐の命は人間の精神構造を表わす埴土(はに)に刻んだ五十音言霊図を十拳剣で分析・検討す ることによって、主体内自覚としての理想の精神構造である建御雷の男の神を得ました。その構造原理 を更に数霊を以て操作して、その誤りない活用法、闇淤加美、闇御津羽の方法を発見しました。五十音 言霊による人間精神構造と数霊によるその原理の活用法を完成し、人間の精神宇宙内の一切の事物の構造とその動きを掌握し、更にその活用法を自覚することが出来たのであります。言霊と数霊による現象 の道理の把握に優る物事の掌握の方法はありません。伊耶那岐の命の心中に於ける物事の一切の道理の主体的自覚は此処に於て完成した事となります。

 

 奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に伝わる言葉に「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなや こと)と唱えて、これに玉を結べ」とあります。玉とは言霊のこと。言霊を数霊を以て活用すること が、この世の一切の現象の把握の最良の理法であることを教えております。

 

 十拳剣を振るとは、言霊を数霊を以て活用することです。「闇淤加美(くらおかみ)の神。」は道理を把握を意味するので、「符合した」の意味で言霊プ(Bu)、「闇御津羽(くらみつは)の神。」は羽をパッと開くように、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず)を活用・発展させて行く事で、具体的には掟(法律)を発布する事を意味しますから、言霊ブ(Pu)であるでしょう。

 

 大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)

 

 以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の 神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味 です。人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷 の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津 羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま)の力を発揚する (流[る])区分(別[わけ)という事になります。

 

 「大いなる言霊の力を発揚する区分」という意味なので、イ行とウ(大和言葉で、大いなるという意味があります。)行を集めてあるようです。大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)の区分です。

 

 次回につづく。

2017年3月 7日 (火)

古事記と濁音・半濁音 その1

 2月24日(金) 、ベテルギウスの周りを急速に右回りに渦を描くように旋回して雲間に消えたUFOは何を示唆していたのでしょう? 私には一つのことしか頭にありませんでした。それは、「言霊・数霊照合表」に濁音と半濁音を取り入れましたが、「それは、古事記のどの場所になるだろうか?」ということでした。

 

 それが、大石凝眞素美師の指摘された場所かどうかはわかりませんが、「言霊・数霊照合表」の正当性を確かめることはできるでしょう。私にはある場所が閃いていました。私の場合、直感はまず大まかな全体のビジョンを受け取りますが、結論が先に届いているようなもので、その後、分別機能を使い、細部を検討するのですが、選択を決定する時、またもや直感が降りてきます。その作業は我々がアカシック・レコードと呼ぶものを閲覧し、必要な部分をダウンロードしているような感覚があります。

 

 まず、「言霊の会」さんの二段重ねの天津太祝詞音図(百音図)に至る五十音を基本とする言霊原理に関する限り間違いはありません。しかしながら、ARIONのメッセージと同じように古事記には多様性があり、別の解読も可能なのです。

 私が直感で簡略な文章で書くこともできますが、それでは通常意識が結論に至る経過がわからず、分かりにくいものになります。そして、「言霊の会」さんの解説がそのまま言霊を示唆しているところが多いのです。

 従いまして、「言霊の会」さんの古事記と島田先生の解説を併記させていただくことにしました。以下、青字は古事記及び紫字は解説です。(前半部分「布斗麻邇(言霊学)講座」226号、後半部分は「古事記と言霊」講座 その十三 第百七十二号及び その十四 第百七十三号 より引用、抜粋)黒字及び赤字は、私が受けた直感の示唆するところです。

 

 では、始めましょう。

 この子を生みたまひしによりて、御陰灸(みほと)かえて病み臥(こや)せり。たぐりに生りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山比売(かなやまひめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神。次に波邇夜須比売(はにやすひめ)の神。次に尿(いまり)に成りませる神の名は弥都波能売(やつはのめ)の神。次に和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の命は、火(ほ)の神を生みたまひしに因りて、遂に神避(かむさ)りたまひき

 

 この子を生みたまひしによりて、御陰灸(みほと)かえて病み臥(こや)せり。

 この子とは火の夜芸速男の神の事です。火は言霊のこと、一音「ヒ」とも言います。火(ほ)の字を当てました。御陰(みほと)の陰(ほと)は霊止で子の生れる処です。岐美の二命の婚(よば)い(呼び合い)で三十二の子音を生み、これで子種が尽き、もう子を生めなくなりました。それを最後に火の神である火の夜芸速男の神を生んだことで、子を生む処が焼けてこれ以上子を生むことが出来ず、病気になった、と洒落た表現をしました。夫神である伊耶那岐の命との「子生み」の共同作業はこれにて終わり、高天原に於ける伊耶那美の命の出番はなくなりました。美の命は病んで寝込んでしまいました。

 

 たぐりに生りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山比売(かなやまひめ)の神。

 たぐりとは吐瀉物(としゃぶつ)のこと、食物を食べて口から吐き出したもの、ここでは手繰(たぐり)の謎。金山毘古の神の金山(かなやま)とは神音(かね)の山の意。言霊一つ一つを粘土板に刻んで素焼きにしたものです。(伊耶那岐の命は過ぎし日の伊耶那美の命との子生みの仕事の楽しい思い出を病気で眠っている美の命の枕辺にいて、思い出しながらいるのでしょうか)共に力を合わせた五十音の神名の山を手繰り寄せて、その一つ一つを点検しました。金山毘古は言霊の霊(または音)を、金山比売(ひめ)は言霊の言(または文字)を確かに表わしているか、を調べました。

 

 伊耶那岐の命の指す言霊イと伊耶那美の命の指す言霊ヰの子音の創造活動は終わり、伊耶那美の命は病に身を伏せました。言霊ヰは陰性の性質を持ち、その働きが弱まり、陽性音であるカサタナハ段の動きが活発になったと受け取ることができます。濁音、半濁音の生成はここから始まります。

 

 カッと顕現した言霊が画(ガ)であり、言霊ガ「金山毘古神(かなやまびこ)」です。粘土板に素焼きにしたものが、語であり、言霊ゴ「金山比売神(かなやまひめ)」です。「カナヤマ」の頭文字「カ」がカ段の文字に動きがあったことを示します。

 

 次に屎(くそ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神。

 

 屎(くそ)とは組(く)む素(そ)、即ち言と霊、または音と文字のこと。波邇(はに)とは粘土板に刻んで素焼にしたもの。その五十音の素焼板を一つ一つ点検して、そこに刻まれた文字の言と霊、音と文字が、それを見れば直ちに言霊としての用を果たす如く明らかに安定しているか、を確認したのでした。古神道言霊学から発する大祓祝詞や古事記神話には「くそへ」とか「屎まり」といった言葉が出て来ます。いずれも語義不詳とされておるようですが、言霊学から見ると容易にその意味が分ります。皇祖皇宗の人類史創造のご経綸の意味の深長さが偲ばれる処であります。

 

 言霊の言と霊を組んだものが言葉であり、言霊バ「波邇夜須毘古神(はにやすびこ)」です。「ハニヤス」の「ハ」がハ段の文字に動きがあったことを示します。

 次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売(やつはのめ)の神。
 

 尿(ゆまり)とは五埋まりの謎です。五十個の言霊の一つ一つを点検して、次に整えるための目安となる母音をどのように並べるか、となりますと、大祓祝詞や、古事記神話にありますように、「下津磐根に宮柱太敷樹て、高天原に千木高知りて……」とありますように、五つの母音の中の天位のア音は最上段に、地位のイ音は最下段に位置することとなります。そうしますと、残りの母音オウエがその間に入る目処が立ちます。弥都波能売(みつはのめ)とは三つ葉の目の謎であり、オウエ三母音が位置する処の見当がついたことになります。弥都波能売を日本書紀では罔象目(みつはのめ)と書いています。罔(みつ)は網のことです。天のアと地のイの間に三つの母音オウエを入れますと、網の形(象)をした目の如くなる、と示しています。弥都波能売とは、五つの母音の中のオウエの三母音の位置の見当がついて、五つの母音の並びが網の目の如くなることが分ったという意味であります。

 母音のボが、言霊ボ「弥都波能売神(やつはのめ)」です。やはり、「ヤツハノメ」の「ハ」段に動きがあったことを示します。

 

 次に和久産巣日(わくむすび)の神。
 

 五十音の神名(かな)(金)を手繰寄せ、一音々々を言と霊との両面から点検し、母音アとイと、その間に入るオウエの三音の位置の見当をつけました。すると五母音の並びが網の目の如くなりました。この網の目に従って残っている四十五の金神を並べて行きますと、大雑把(おおざっぱ)ではありますが、五十音が一つの枠の中に結ばれているようにまとめられることが分ります。このことを和久産巣日の神と申します。人間が言霊の存在に気付き、生命の担い手である言霊が五十個あること、そしてその五十個の言霊の極めて大雑把ではありますが、一つの枠の中に結ばれているように活動するということを知った「初め」であります。人間の自覚の始めであり、また人類が自らを知った始めでもあります。まだ五十個の言霊の結ばれ方、その内容等は不明でありますが、兎に角枠にはめることが認識されました。まだ完全でないことを示すよう「枠」のことを「和久」と書き、「湧く」が連想されるような言葉を用いてその初歩的整理であることを知らせています。この和久産巣日の神の整理の状態を天津菅麻(あまつすがそ)(音図)と呼びます。伊耶那岐の神の音図であります。 

 

 天津菅麻(あまつすがそ)音図=田の内容が言霊ダで「和久産巣日神(わくむすび)の神です。母音の段が「アオウエイ」順になりました。

 

 この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。
 

 神話の中で神のという場合はその親族関係またはその神の性能・活用法等を表わします。豊宇気比売(とようけひめ)とは十四(とよ)である先天構造の機能を受け継いで、それを秘めている、の意であります。豊宇気比売の神といえば、伊勢神宮外宮の御祭神です。この神は親である和久産巣日の神の大雑把な内容ではあるけれど五十音言霊を枠に結んだ五十音図の法則を以って、この世の中の出来事から発想される一切の文化を整理し、それを伊勢神宮内宮の御祭神である天照大神が聞しめす世界人類の文明創造の材料として大神の御倉板挙の上に並べる役目の神であります。この神が天照大神の前に差し出す一切の文化はすべて、人間の先天機能(豊)を受継いで(宇気)秘め備えたもの(比売)である、の意でもあります。

 

 耕したものが土であり、整えるの「ト」の終了形を示しています。言霊ドは「豊宇気比売神(とようけひめ)」です。

 

 かれ伊耶那美の命は、火(ほ)の神を生みたまひしに因りて、遂に神避(かむさ)りたまひき
 

 こうして伊耶那美の神は火の神を生みましたことで、遂におなくなりになりました、ということであります。

 

 かれここに伊耶那岐の命の詔りたまはく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易へつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に匍匐(はらば)ひ御足方(みあとへ)に匍匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。

 

伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひ とつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、

 

 伊耶那岐の命はその時まで高天原での創造の協同者であった伊耶那美の命を失ってしまいましたの で、「わが愛する妻の伊耶那美の命を子の一木に易えてしまった」と嘆(なげ)きました。岐美二神は 共同で三十二の子音を生みました。その三十二の子音を表音神代文字火の夜芸速男の神・言霊ンに表わ しました。妻神を失い、その代りに一連の神代文字(一木)に変えたという事であります。

 

 御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、

 

 五十個の言霊とその表音文字が出揃い、今はその言霊の整理・検討が行なわれているところです。その整理に当る伊耶那岐の命の行動を、妻神を失った伊耶那岐の命の悲しむ姿の謎で表わしています。御枕方と御足方とは美の命の身体をもって五十音図(菅曽音図)に譬えた表現です。人が横になった姿を 五十音図に譬えたのですから、御枕方とは音図に向って一番右(頭の方)はアオウエイの五母音となります。反対に御足方とは音図の向って最左でワヲウヱヰ五半母音のことです。そこで「御枕方に葡匐ひ 御足方に葡匐ひ」とは五十音図の母音の列と半母音の列との間を行ったり、来たりすることとなりま す。「哭きたまふ」とは、声を出して泣くという事から「鳴く」即ち発声してみるの意となります。

 

 御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。

 

 香山(かぐやま)とは言霊を一つ一つ粘土板に刻み、素焼にした埴(はに)を集めたもの、即ち香山 とは「火の迦具土」と「金山」を一つにした名称。畝尾とは一段高い畝(うね)が続いている処。母音 から半母音に連なる表音文字の繋がりの事。その畝尾は五十音図では五本あります。「その木のもと」 とありますから、五母音の一番下イからヰに至る文字の連なりの事となります。涙はその一番下の畝尾 に下って来ます。一番下のイからヰに至る文字の連なりは父韻チイキミシリヒニの八韻です。この父韻 が鳴りますと、その韻は母音に作用して現象子音を生みます。父韻は泣き(鳴き)騒ぐ神です。そこで 名を泣沢女(なきさわめ)の神と呼びます。泣くのは男より女に多い事から神名に泣沢女の神と女の文字がついたのでありましょう。

 

 「ざわめく」という言葉があるように、「泣沢女神(なきさわめ)の神」が「言霊ザ」を示します。発声した場所が音図の中のそれぞれの言霊の「座」ということになります。

 

 小豆島(あづきじま)またの名は大野手比売(おおのでひめ)

 

 泣沢女の神の座。また五十音言霊の音図上の整理・確認の作業の中で、八つの父韻の締めくくりの区分を小豆島(あづきじま)と言います。明らかに(あ)続いている(づ)言霊(き)の区分の意です。大野手比売(おおのでひめ)とは大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めてい る(比売)の意です。八父韻は横に一列に展開しています。

 「オオノデヒメ」の「オ」により、オ行であることがわかりますが、平らに整地したところを園と言います。また、よく考えて十分に理解し,味わうことを咀嚼と言います。そして、音図の素案であることから、「大野手比売(おおのでひめ)の神」が言霊ソの終了形「言霊ゾ」そして締めてまとまったものが小豆島になります。

次回につづく。

 「つづく」といえば、日本語には同様の文字が並ぶと陽性音が濁音に変化するという日本語独特の訛りがあります。陽性音の動きが活発になるとは、このことを指しています。基本的に清音の終了形であるということに間違いはありません。

 

 屈(かが)む、輝く、凍(こご)える、潜(くぐ)る、怪訝(けげん)、木々(きぎ)、さざ波、そぞろ歩き、涼(すず)む、せいぜい、しじま、正(ただ)す、届(とど)く、つづら、縮む、羽ばたく、ほぼ、ほのぼの、吹雪く、響く…等。

2017年2月28日 (火)

言霊学入門編 その3

 後天現象子音三十二音

 

 八父韻「チイキミシリヒニ」が、「イ」以外の「アオウエ」とぶつかって火花を散らしながら、子音が形成されていきます。Ti(チ)がアと結びつき、チァ→タ、Ti(チ)がオを結びつきチォ→トのように。言霊イ、ヰ(伊耶那岐神、伊耶那美神)の創造活動により現象子音が生まれます。

「タトヨツテヤユエケメ」

タ 八大父韻の働きが現象として押し出る

 

    言葉での使用例

 

  田(た)・竹(たけ)・滝(たる)・足(たる)・貯(たくわえる)・

  助(たすける)・叩(おし)・佇(たたずむ)・戦(たたかう)

ト ヨ

  八大父韻の働きが主体として整い、母音の客体としてのその様(さま)

  

  十(と)・戸(と)・解(とく)・時(とき)・富(とみ)・

  年(とし)・説(とく)等に使われ、

  四・世(よ)・欲(よく)・夜(よる)・嫁(よめ)・横(よこ)・

  酔(よう)

ツ 五十音図の横の並び確かめられ主体の意図が現実に何を志している

  か、が明らかとなり、「ツー」と姿を現わして来る

 

  津(つ)・月(つき)・附(つき)・突(つく)・次(つぐ)・

  啄(ついばむ)・杖(つえ)・使(つかう)・仕(つかえる)・

  土(つち)等

テ 「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれ 

  かに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく

  手(て)・寺(てら)・照(てる)等

ヤ 吹き出した父韻が母音と結びついて、心の中に一つのイメージとしての

  形を形成していく様子

  屋、矢、弥、焼(やく)等 

ユ 先天十七音の活動が意図するものは何か、が一つのイメージにまとまっ 

  て来たが、霊と体、主体と客体との関係を保っておりそれが言霊とし

  て、押し出される。

  喩、湯(ゆ)・弓(ゆみ)・結(ゆう)・言(ゆう)・夕(ゆう)・

  縁(ゆかり)・歪(ゆがみ)・裄(ゆき)・行(ゆく)・雪(ゆき)・

  揺(ゆする)等

エ ヤ行のエです。イメージ化されたものが、頭脳を通って、次第に明らか

  になり、また言葉と口腔に入って行く。

  川から海への境目が江(ゑ)と呼ばれる。現代の国語はア行、ヤ行、ワ

  行のエ(ヱ)をすべてエ一字に表わしている。

ケ、メ

 イメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らか

  にイメージとしてまとまったもので、言霊ケは気であり、主体であり、

  また霊です。言霊メは芽、目で客体であり、体です。

  木(け)・毛(け)・気(け)・日(け)・蹴(ける)・

  穢(けがれ)・消(けす)等

  女(め)・目(め)・芽(め)・姪(めい)・飯(めし)・

  恵(めぐむ)・廻(めぐる)・召(めす)・雌(めす)・

  捲(めくる)等

 

「クムスルソセホヘ」

 「ヘボセソルスムク」は具体的な言葉として組む過程です。

 

ク、ム 実際の言葉に結び込む。(ク=組む、区等、ム=結ぶ、務等)

ス、ル 発音しようとする。(ス=動作の無い状態、ル=動く)

ソ、セ 体的エネルギーの補充(ソ=注ぐ、セ=瀬、急ぐ)

ホ、へ 先へ行って開く(ホ=穂、へ=辺)

 

「フモハヌ」は言葉として空中を飛び人の鼓膜をたたく過程です。

   空中に飛び出した言葉に心が乗る(吹く、伏す、踏む)

   人間の気持ちをよく保持し、伝える(茂、盛る、森)

   言の葉(橋、箸、歯、肌、裸)

   人の鼓膜を叩く(抜く縫う、温もり、貫)  空中を飛ぶ言霊=神名(かな)

 

「ラサロレノネカマナコ」

 「ラサロレノネカマナコ」は他人の耳で聞かれ、頭脳内で反唱、了解行動される過程です。

 

   螺旋運動、耳穴の中の狭いところを入って行く

   一定の方向に向かう浸透状態(差す、指す、刺す)

    言霊ラは螺旋状に、言霊サは一定方向に、共に進む動きを示す。

ロ、レ 耳の孔の奥へぐるぐる螺旋状に回りながら、入り込んでいく。

ノ、ネ 復唱される。音が宣られる。(ノ=載る、乗る)(ネ=音、根、願う)

カ、マ 入ってきた言葉はどんな意味をもつか掻き混ぜられ、煮詰められる。

   言葉の内容が了解される。(名、成す)

   物事の実相、最小単位(子、個)

 

「言霊ン」

 

   (神代)文字のこと

 

 入門編、終わり。

   *   *   *

 

あとがき;

 2月24日(金) 、再びベテルギウスの周りを急速に右回りに渦を描くように旋回して雲間に消えたUFOを目撃しました。角度によって、オレンジ色と赤に回転しているように見えました。もはや、偶然ではなく、この意味するところを知った今、驚いています。

 「入門編」の続きの内容ですが、私にとっては未知(数霊55!)の部分なので、次の記事をまとめるまで、やや時間がかかると思いますが、少々、お待ちください。

 「ARION語録」は、地球人が知らない事実、知らされていなかった事実に言及されており、面白くなってきました。コメントできる部分もあるのですが、言霊の方もわかりやすくお知らせするという使命がありますので、それを挟みながら、だんだんとテーマごとにお話ししするのも良いかなと思っています。

 実際のところ、ブログ内で、ARIONの言葉の「星降る」について書けば、冬の大三角形と筑紫三山がテーマになったり、私が「UFO?」と書けば、それに呼応するようなメッセージが出てきたりしていますが、私はARIONのコンタクティであったことはなく、しめし合わせたわけでもなく、これらの語録も文章を整理しながら、初めて読んでいるところです。

 ARIONの言う通り、直感は、ARIONだけでなく、仏教系、神道系の神霊界から降りてくることが多かったのです。あまり、このようなことは言いたくないのですが、言霊ギ(数霊55)及び、無音についての記事は神霊界から、菅原道眞公をはじめ、多くの反響がありました。

 シンクロニシティー(共時性)とは「意識の無意識に対する働き掛けの一つの結果だ」ということですが、ARÎONの言葉に刺激を受け、直感を受け取ることができる時節が整ったと理解しています。言霊スには始まりも終わりもなく、時間はありませんが、あらゆる現象には時間的経過が必要なのです。ARIONのメッセージは、30年くらい前のものようですが、シンクロニシティーが、このブログ内で表出する時期に入ったということです。

 ラトナ・ブッダについて言わなくなったのなぜか?という疑問があるかと思いますが、彼は実在しており、人型に金色に輝く光となって、私と一体となり、無言のサポートをされています。一体となったと言うより、私の意識が宇宙身体を垣間感じるようになったと言うべきかもしれません。ARIONの言うプロジェクトは、ラトナ・ブッダの言う「銀河連邦」の前段階で、地球を真の繁栄に導くという目的があると思いますが、このブログの内容と一致しており、協力体制にあるようです。

 

2017年2月22日 (水)

言霊学入門編 その2

 言霊イの働きがTYKMSRHNのバイブレーションで、と結びつき八父韻「ヒチシキミリイニ」が生まれます。はその内容です。

 ここで、島田先生の「言霊イ 生命意志の働き」についての文章を抜粋引用させていただきます。

言霊イ 生命意志の働き

 人間の創造意志である言霊イとヰについて、もう少し詳しく説明しましょう。先に五母音の 説明のところで、この言霊イの宇宙は他の四つの母音宇宙を根底から支え、統合している宇宙 であるとお話しました。根底で統合するといっても、内容がはっきりしないかも知れません。

 もっと平たくいいますと、この言霊イという創造意志は、他の四音の世界の現象を生む原動力 だということです。五官感覚による欲望の宇宙である言霊ウも、経験知の宇宙の言霊オも、感情の宇宙の言霊アも、実践智の宇宙の言霊エも、生命の創造意志である言霊イが働かない限 り、何の現象も生れないということです。

 欲望が起るのも生きる意志があってです。経験を積む好奇心も、嬉しい悲しいの感情も、 今・此処でいかなる道を選ぶかで悩むのも、すべて生きようとする意志が縁の下の力持ちと なって働くからであります。  そして、その縁の下の力持ちとなって働く力、それが言霊イの実際の働きであるキシチヒミ リイニの八つの父韻です。それは主体が客体と結び付くために働く力動のバイブレーションです。これによって主体と客体がシンクロナイズして、現象である全部で三十二の子音を生むこ とになります。 

 言霊イには以上の他にもう一つ重要な働きがあります。それについては誰も想像もしないこ となのですが、人間が生きるということにとって重要なことなのです。  主体と客体が結ばれて現象を生むとは、どういうことなのでしょうか。「赤い花が咲いた」 というのは一つの現象です。この時、その事実を認識する人間がいなかったら、それが現象と して起ったかどうか分りません。さらにそれを見る人間がいたとしても、その事実に対して 「赤い」「花」「咲いた」という事や物にそれぞれ名が付けられないならば、ただ「アー アー」というばかりで現象にはならないでしょう。主体的に現象を生むということは、名を付 けることでもあります。現象を生み、それに名を付けること、それが生命意志である言霊イの 働きです。 

 人間の創造意志である言霊イについて以上のことを総合しますと、言霊イとは――

 

一、母音として他の四つの母音ウオアエを統一して支え、 

二、その実際の働きである八つの父韻ヒチシキミリイニとなって、母音、半母音に働きかけ て現象を生み、 

三、生れ出た現象に名を付ける役目を果たす。

という、宇宙の根本活動をすべて一手にやっている存在ということが出来ます。そこで母音イ と半母音ヰとを他の母音・半母音から区別して親音と呼んでいます。この言霊イとヰの存在と働きに対して、宗教の教義では「創造主」と呼んで崇めています。 

 先に、人が朝目を覚まして、意識が段々はっきりしていく時のことを例にとって心の先天の 構造を説明してきましたが、言霊イとヰが出揃ったところで、先天の十七音言霊の構造は完結 したことになります。この十七音言霊が活動して、現象である子音を生んでいくこととなるの ですが、先天構造の言霊による図をまとめますと、次のようになります。 

 人が眠りから目覚め、まだ完全に意識が働かないが、何かが動き出す気配が漠然としてき て、頭の中で形にはならない先天の宇宙が次第に活動し、それに人間知性のバイブレーション である八つの父韻が働きかけて刺激し、最後に生命の創造意志が最も奥の部分で発動すると、 遂に心の現象が起って子音が生まれてくるという、心の先天構造の経過は以上の図によって示 されました。

 人間はこの十七個の言霊によって構成されている頭脳の活動によって物を思い、考え、行動 し、文化を創造していきます。それは国家・人種の区別なく人類全てが皆同様です。また人類 がホモ・サピエンスとしての種を保つ限り、この頭脳構造は永久に変わることなく続くことで しょう。  地球上には幾多の国家、人種があります。その言葉も多種多様です。けれど人間である限 り、その頭脳は右の十七音の言霊で構成されています。

 そしてその頭脳の構造をこれ以上に正確に解明するものは、他にあり得ないことでしょう。人間の頭脳の精神構造は、人類の歴史の 上で、すでに数千年の昔に明らかにされているのです。  古代人が野蛮だったなどとは、間違っても言えるものではありません。 

 古事記ではこの順番ですが、日本書紀では、言霊イから始まってに至っており、先天十七音は順番にというわけではなく、同時発生していると受け取れます。

Kiki_senten

 

八父韻「チイキミシリヒニ」

 これは人間深いところにある一瞬のこころの動きなので、説明しがたいところです。チイ、キミ、シリ、ヒニがそれぞれくみ合わさって、それぞれ、陰陽、正反の関係にあります。

チ 衝動の発現  

イ その維持

キ 自分の体験内容に心が結びつけようとする外向きの動き

ミ 自分の体験内容に心が引き寄せようとする内向きの動き

シ 螺旋状に中心に向かって静まり収まろうとする動き

リ 螺旋状に外に向かって拡大発展しようとする動き

ヒ 円が広がるように精神の内容表現が表面に完成する。

ニ 逆に円が縮まるように物事の現象が精神の内側に煮詰まる。

 八父韻の説明として以前に掲載した図と文章ですが、基本的に島田先生の著作「言霊」からの抜粋です。

 

Photo_3

 ここで加えて言っておきたいのは、言霊イは陽と陰の性質があり、

     ワ   

     ヲ   

     ウ   

     ヱ   

     ヰ   

 八父韻のエネルギーの動きを統合すると、アオウエイの柱の周りを右回りで上方向へ、ワヲウヱヰ柱の周りを左回りで下方向へ螺旋状に働いていると考えられます。それが、ホツマツタヱのアとワの渦の特殊文字の意味するところであり、宇宙、そして人間の心の宇宙はこの二本の柱を重ねたものであり、「天の御柱」と呼ばれています。以前述べたようにDNAの二重螺旋構造にもつながります。

 したがって、言霊イは創造と破壊の神と捉えることもできます。何かの創造は、何かの破壊であり、それらは表裏一体です。

 次回へつづく。

2017年2月17日 (金)

言霊学入門編 その1

 以前掲載した「神々の宝座」の図に誤りがありましたので、この場で、訂正してお詫びいたします。過去の掲載につきましては、追々訂正致しますのでご了承ください。最近、新しく当ブログに訪問してくださる方が多くなりましたので、以前の記事と重複しますが、正しい図を掲載して、「言霊学(コトタマのマナビ)入門編」としたいと思います。

 

Tatuta

先天十七音

五母音・四半母音「ウアワ オエ ヲヱ イヰ」

 ウアワについては、ホツマツタヱのフトマニ図と共通しています。フトマニ図ではこのような特殊文字になっています。

Uzu

 言霊アは右回りに上昇するエネルギーであり、言霊ワは左回りに下降するエネルギーを表しており、ARIONの言う真理とは宇宙に遍在するエネルギーの事である。」を言霊で表現することは可能です。

 言霊ウは母体に◎生命が宿るような文字になっています。ここで言っておきたいのは、言霊スはローマ字表記すると「SU」であり言霊ウを内包していることです。歯に舌の先をあてて、息を出しますとが出現するのに気がつかれるでしょう。

 天(アマ)という言霊は文字通り宇宙を指しますが、吾間(主体の中の意)で、人間の心の宇宙も指しています。少々寄り道をしましたが、ここから先は混乱を避けるため、基本的に「人間の心の宇宙」に絞って、説明していきます。

 言霊ウ、ア、ワ一個の人間においては、生まれてから本能的な衝動により自と他という意識ができるところです。

 アからが生まれます。発声の口の形を変えるだけです。は記憶で、は選ぶ智慧です。

 ワからが生まれます。オ(記憶)の内容のことで、エ(選択)の内容です。

 ここで、言霊の会さんの島田先生の詳しい解説を掲載させていただきます。

五母音と半母音

ウの宇宙(言霊ウ)

 赤ちゃんは母親の胎内から生れ出て、何も教えられないのにお乳を飲みます。乳房を吸います。これは生来人間に備わった欲望本能の現れです。この欲望の出て来る根元の宇宙に、母音のウと名付けたのです。このウと名付けられた欲望の現れ出て来る元の 宇宙、これをコトタマのウと呼びます。字を分りやすくするため に今からコトタマを言霊と書くことにします。言(こと・言葉)はウです。霊(たま・内容)は欲望が出て来る元の宇宙のことです。これを一緒にして言霊ウと呼びます。

 

  仏教で眼耳鼻舌身と呼ぶ五官感覚による認識の能力も、この宇宙から現れてきます。赤ちゃんが次第に成長して大きくなり、美味しいものが食べたい、美しい服が着たい......から、金持になりたい、良い人と結婚したい、大臣になりたいなどの欲望もこの言霊ウの次元の現象です。この欲望の次元の現象は、人間の精神の最も幼稚な性能であると同時に、生きていくために最も基本的な本能だということが出来ましょう。この人間の性能が社会的になったものが、各種の産業活動であります。

オの宇宙(言霊オ)

 

  人は生まれて次第に成長し、物心がついてきますと、自分の見 たこと、聞いたことを振り返って考えて、その経験したことをどんな順序で繰り返せば、いつも同じ結果を手にすることが出来るかを思考するようになります。この記憶とその整理の働きが出て来る元の宇宙を、母音オの宇宙(言霊オ)と名付けました。この働きが高度になったものが学問であり、科学と呼ばれるものです。

 

  経験事項の抽象的概念による把握表現の世界、といえば学問的な表現となります。それは経験知の世界です。「余韻が尾を引く」、「生命の玉の緒」の尾や緒は、この宇宙の意味をよく示した言葉であります。

 

アの宇宙(言霊ア)

  この宇宙から発現してくるのは、人間の喜怒哀楽の感情です。純粋な愛の世界でもあります。この感情が出て来る元の宇宙を言霊アといいます。この世界は、言霊ウの欲望とも言霊オの経験知とも趣を全く異にした世界です。

 

  「あぁ」は感嘆する言葉ですし、阿弥陀・アーメン・アラーなどのアは世界的に共通した感情の世界を表わす音ということが出来ます。この宇宙から宗教や芸術の活動が出てくるということが出来るでしょう。

 

エの宇宙(言霊エ)

 

  今までに挙げました言霊ウ・オ・アのそれぞれの宇宙から現れてくる欲望、記憶、感情は人の心の中で時には相争い、また時には協調したりします。これら三つの性能は、常に勝手に自己主張して心に葛藤が起ります。この時、人は今どのような生き方をすればよいかの選択を迫られます。感情のおもむくままに進むか、 過去の経験を生かすか、それとも欲望を先にするか。さぁ、どう しよう。それらをどんな按配で選択したら良いかという知恵であ る実践智が出てくる元の宇宙、これをエの宇宙、言霊エと呼びま す。  人が「えらぶ」(選)働きが出てくる元の宇宙であります。こ の言霊エからの働きが社会的なものとなったのが、道徳と政治活 動ということが出来ます。  現代人は、この今、ここでどうしたらよいかの実践智と、先に 挙げた過去の記憶を整理する経験知とを混同して取扱いがちで す。けれど経験知と実践智は全く異なった人間の性能であり、両 者が相異なったものであるということを知っているだけでも、生 きていく上で相当な得をすることになりましょう。何故なら、人 が迷うということは、その人の持つ経験知の中から、今、どれを 採用すれば良いかで迷うからです。その時、経験知と実践智とは 全く違うものだ、と知っていれば「下手な考え休むに似たり」と 迷うことを止め、白紙に返すことが出来ます。白紙に、すなわち 出発点に帰れば、必ず人間の実践智が働き出し、進路は整然と決 定されるでしょう。

イの宇宙(言霊イ)

 

  この宇宙は今まで説明してきたウオアエの四つの次元と違い、説明し難い宇宙なのです。それをあえて説明すると次のようになります。

 

  言霊ウ・オ・ア・エの四つの次元の宇宙を縁の下の力持ちとなって支え、動かし、さらにそれぞれの現象を言葉として表現するところの、人間の創り出す意志の働きが出てくる元の宇宙、とでも言ったら良いでしょうか。人間はこの生きる意志があって初めて、他の欲望も経験知も感情も実践智も働くことが出来るということです。「人間が生きる」「居る」とはそういうことなのです。人が生きるための最高位の性能です。

 

 以上で一口に心の宇宙と呼ぶものが、実は五つの母音が当てはめられる五次元の宇宙から出来ていること、その五次元について低次元から高次元へとその内容を説明してきました。五つの次元の宇宙はそれぞれ特有の無音のエネルギーが充満していて、しかもそれ自体は決して現象として姿を現わすことのない実在なのです。

 

 人間の精神の働きは、この五つの次元の宇宙の中で行われ、こ の五次元以外の宇宙は存在しません。人の心はこのウオアエイの五次元の宇宙の重畳を住家とします。それが語源となって、人の住むところを日本語で五重すなわち家、というわけです。

 

  この宇宙のウオアエイの五つの次元構造を、東洋では概念化して、木火土金水の五行(中国)とか地水風火空の五大(インド)などと表現しています。仏教のお寺にある五重塔も人間精神の五次元層を暗示した建造物であります。

 

半母音

 

 次に半母音の言霊の内容を簡単に説明しておきましょう。  母音のアイウエオの言霊が、見る方の主体の五つの次元の宇宙 とすると、半母音ワヲウヱヰは見られる方の側の客体の五次元の 宇宙ということになります。母音と半母音とは、自と他、主体と 客体、出発点と終着点、吾と汝といった関係です(古代大和言葉 では吾をア、汝をワと呼びました)。

 心の性能が活動を起す時、物事は活動の主体(私)と客体(貴方)に分れます。「何かな」と思う時は、思う方(主体)と思われる方(客体)の関係が出て来ます。人間が何か心の活動を始めると、必ず主体と客体という関係が生じます。これが人間の心の宿命とも言えます。主体と客体という関係に「分れる」から、それが何であるかが「分る」のです。この関係となる時、心の活動の主体となる方が母音で表わされ、客体となる方が半母音で表わされます。主体アに対する客体はワ、主体オに対する客体はヲ……という訳です。

 母音言霊と半母音言霊との関係をもう少し説明しましょう。母音言霊は物事の主体であり、能動であり、始めであります。それに対し半母音言霊は物事の客体であり、受動であり、終りであります。これを例えば言霊オとヲで説明しましょう。言霊オは経験知識を求める性能です。そして知識を求める主体であり、求められる知識が客体の言霊ヲという事になります。また求めた結果として成立した知識は記憶となって言霊ヲの性能領域に保存されます。

 言霊オの経験知を求める主体は、何か一見分らないものに遭遇した時、先ず言霊ヲの領域に同じものの記憶がないか、を尋ね、あればその記憶で物事の用を達し、見つからぬ場合は新たに経験知を求める活動が開始されます。言霊オは主体、言霊ヲは客体でありますから、言霊ヲの客体は言霊オの主体が尋ねる内容にだけ答え、それ以外には反応しない、という事になります。以上言霊オとヲを例にとって主体と客体との関係を説明しましたが、他の性能領域についてもすべて同じ事が言い得るのであります。

母音の言霊も半母音の言霊 も精神の先天的なものですから、そこから現象を生み出しはしま すが、それ自体は決して現象として現れることはありません。

 次回へつづく。

2017年2月14日 (火)

時軸

ARION語録  1ー(7)より

前進と後退は、我々にとっては時軸上の左右の問題である。

この「時軸」を構成するのが、五十音図上のイ、八大父韻(チイキミシリヒニ)及びヰである。音図の横軸の基礎になります。

ワ ラ ヤ マ ハ ナ タ サ カ ア

ヲ ロ ヨ モ ホ ノ ト ソ コ オ

ウ ル ユ ム フ ヌ ツ ス ク ウ

ヱ レ エ メ ヘ ネ テ セ ケ エ

ヰ リ イ ミ ヒ ニ チ シ キ イ

アカサタナ ハマヤワワ

明らかに顕現した然(さ、それの意味)を音図と為し

言の葉と事象をまとめてを八つの覧に分よ

オコソトノ ホモヨロヲ

記憶の固まりと原因を整え、宣り(言葉にし)

灯りとして盛り込み、世に呂律(ろれつ、定め・法律の意)として治めよ

ウクスツヌ フムユルウ

欲望を区分して素因と結果(つまるところ)を抜き出し

付帯する務めを喩(さと、はっきりせるの意)して留め、産業とせよ

エケセテネ ヘメエレヱ

智慧の気の瀬(流れ)の導く手段を練り

経過と目的の枝葉の列を得よ

イキシチニ ヒミイリヰ

意を起こして、思考を知として煮詰め

表現(実践)し、実りを維持して利と為せ

 これらの文章は目的によって異なってきますが、骨子を見ると月読と素戔嗚の対立ではなく、月読が概念を語り、素戔嗚が方策をより具体的に述べている協力体制がわかるでしょう。

2017年1月24日 (火)

「冬の大三角形」と「筑紫三山の社」

 この冬、晴れた日には福岡市から、月、南の方に金星、金星が地平線の建物の影に隠れる頃、東南の方に「オリオン座」と「冬の大三角形」が綺麗に見えます。「UFO?」の記事以来、非常に気になっていました。

Triangle

 大まかではありますが、上の図が「冬の大三角形」で、

おおいぬ座α星シリウス

こいぬ座α星プロキオン

オリオン座α星ベテルギウス

の三つの星からなります。

 下の図が「筑紫三山」の社を結んだ三角形です。

「若杉山」の麓のには、太祖宮があり、ご祭神のイザナギは言霊「イ」、数霊「5」

「飯盛山」の飯盛神社の本社のご祭神イザナミは、言霊「ヰ」、数霊「50」

「基山」の荒穂神社(あらほじんじゃ)の主祭神は、「瓊々杵尊」ですが、基山の「キ」が数霊10であり、1から10までを足すと、数霊「55」と言霊「ギ」が導き出されました。

 地図の方の三角形は自然の山を利用しているので、誤差はありますが、星座、星の名前に注目すると、

「おおいぬ」座α星シリウス   →「イ」

「こいぬ」座α星プロキオン   →「ヰ」

オリオン座α星ベテル「ギ」ウス →「ギ」

を指しているのではないかと思っていました。ベテルギウスは、周辺を照らす言霊「ギ」という意味にとれ、また、オリオン座を縁取ると臼(うす)の形にも見えます。

 

 上の図では、三角形の頂点ベテルギウスが、一番上に見えますがもっと空高く上がっていくとそのベテルギウスが地上からは一番手前に見えるようになります。

 三つの神社が勧請された経緯はわかりませんし、星座や星の名前は後から名付けられたものですが、これは「神意」であったと言って良いのではないでしょうか? 日本の古代から、オリオン座は意識されていたようです。

 オリオン座の三つ星は、三島と呼ばれることもあり、奈良の三島神社を思い出させますし、宗像三女神(むなかたさんにょしん)も象徴しているのかもしれません。

 下の図で、「若杉山」の太祖宮を頂点として、他の2点を結ぶ辺にほぼ直角になるように矢印を伸ばすと背振山があります。ARIONの3, 4, 5の三角形の封印を思い出したわけです。

「背振山には、背振神社があり、祭神は宗像三女神だが、地元では

乙護さんと言われている」

「背振神社蔵古書によると、絶頂に霊窟があり、二竜常に出現し背を振る時、山が動き地震う、故に背振山と号する」

 小椋一葉氏著「箸墓の歌」より要約、抜粋

(著者は、乙護さんは、「トヨウケ姫」だとし、背振山には古くから二竜が祀られていて、著者はその二竜が「スサノオ」と「ニギハヤヒ」ではないかとしています。背振山に斎場を建てたのは、神功皇后であると伝えられていて、二竜と宗像三神を祀った時、乙護さん(トヨウケ姫)も祀ったとしています。)

 「乙護」さんは、トヨウケ姫だったかどうかはともかく、「音秘め」さんの意味でしょう。

 「背振」は瀬を振るという意味になり、「言霊の流れを活用する」という意味になりますので、この山が出雲族の九州における拠点の一つだった可能性は大きいと思います。

 さて、この三角点を山頂にとった場合、Mさんによると、福岡県那珂川町片縄の天御中主神社がほぼ真ん中にあたるそうです。天御中主=言霊「ス」になります。Mさんは神功皇后に非常に縁が深いと感じています。

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