ARION語録(コメントあり)

2018年4月 5日 (木)

「ドン・ファン」〜ARION語録 39より

ARION語録  39

 ARION⇒光の子ら

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 「闇」と「暗黒」は異なり、「影」と「闇」も異なる。あなたの前に光がさしていれば、あなたの後ろ側は影になる。しかし、あなたの前も後ろも「暗黒」にはいない。『自分』という存在が「暗黒」にいる時は、『自分』の心の目が見えない時だけ。

 ここで言う「暗黒」とは、仏陀の言う「無明」、智慧の光に照らされていない状態のことだ。

 同時進行の「光の自分」と「影の自分」を、分け隔てなく扱うこと。私たち、アート・ライン・プロジェクト(以降ALPと称す)の成立は人類創世の時まで遡る。人類は生活の中に、創造性を持ち込みそれを評価、益用出来る存在だ。人類は創造性の為に自分自身の生活さえも、制限し得る存在だ。ALPは、この創造性を支える。

 「影の自分」とは、人間の言動のことだろう。

 

 具体的には、絵画・音楽・文芸・自然科学の一部とそれらに関連するマス・メディアに対しての啓示及び啓発を行って来た。光波動に因る、帯域性を持つ周波数の発振とエージェントを通じて、色々なことを伝えてきた。このエージェントには、地球上に同化した我々の仲間少数或いは、目的の為に同調した地球人とが、あたってきた。同調地球人の多くは、自分が何故一つの目的の為に衝き動かされているのかが理解できない者も多い。それぞれにコンタクトして、理由の説明を理解できる存在に教育するのは困難だ。しかしそれぞれに、自分の生き方として一つの目的の為に、我々からの周波数帯域に接触し、行動してゆくことを選ぶのは各個人の意思なのだ。

 私にはあまり時間がない。これらの創造的行動を具体的に指摘するのは困難だが、例えば、映画やSF小説で、宇宙の一部の真実が明かされてきた。背後にはARIONらの周波数帯域における刺激、感化があった。しかし、それらを行動に移すことは、強制的なものではなく、各個人の自由意志によるものだ。

 宇宙連合・銀河連合、そして神霊としての存在が、地球上のあなたがたに何かを示唆することはあっても、命令したり催眠状態にして活動させるようなことは決して無いと断言しておこう。地球上の有機体の進化は、地球上の有機体の意思と決定に依る行動によってのみなし遂げられるからだ。自分の出自の惑星以外での過干渉は、重罰に処せられる。この法則は、この銀河系以外の銀河系にも行き渡っている。

 人間個人の自由意志は、こんなにも尊重されている。これは本当のことだ。いくつかの神霊との接触があったが、彼らが、私に無理に行動させようとすることは、決してない。

 少し脇道にそれるが、私がそれを告白するのは、そのようなこともあるという事実を知らせるためであって、霊能力を誇示するためではない。それは誰にでも起こりうることだ。それに怯えることの無いようにあるいは自分は特別な存在だと暴走しないようにと言っておきたい。

 また、様々なオカルト的知識は、人間を光明に向かわせるための補助になる時有効であって、知識自体は私の強調するところではない。悟りそのものは、静寂であって、むしろ「何も知らない」無垢な状態と言った方が近い。だから、たとえ文盲であっても起こり得た。

 過去の宗教は、個人の悟りだけで良かった。今や地球自体の危機なのだから(これについては別の機会に書くことになるだろう。)、言葉に表現したり、行動することが急務である。それらの指針となるのが、神霊たちの感化であり、言霊、数霊原理である。

 

 最近、この法則を平気で破る時空間ゲリラの様な存在が居るのは確かだが、彼らの目的は決して、この地球の進化や人類の進化では無い。銀河連合も宇宙連合も、彼らに対しての制裁を検討しているが、実際の被害者である筈の地球人からのクレームが少ないのと、実害の届けの幅に誤差が生じていて、制裁行動に移れないでいるところだ。

 実際問題として、彼らとコンタクトしてそれを喜んでいる人々が多く存在していて彼らの側の言い分としての「役にたっている」を満たしてしまうのだ。このことについては、これ以上の情報を今は流せないが、今後の展開状況により多くの事を伝えて行けるようにと願っている。

 これは、一時チャネリングがもてはやされた時期のことであるだろう。言葉を降ろしてくる存在のすべてが、地球の進化や人類の進化を目的としているわけではない。

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 さて、ドン・ファンのことだが確かに彼は「マヤ」の流れを汲んでいる。私は、彼の師であった人間を知っている。彼らの伝えている内容に関しては、非常に古い伝え方であっても真実を見る操作の手順という意味では、非常に正しいやり方だと言える。

 「ドン・ファン」は「カルロス・カスタネダ」の小説に出てくるヤキ・インディアンの指導者(ノワール)のことで、呪術師という言葉が与えられているが、実在するかどうかは、論議のマトであった。著者が彼に遭遇していたのは事実のようだ。非常に古い伝え方というのは、昔ながらの師と弟子という関係性のことだろう。

 それは秘教に関する部分(例えば、麻薬効果のある草やきのこ、酒などの摂取など)が、一般的に広まっては、非常に危険だからだ。クンダリーニ・ヨガやタントラもちゃんとした師につくことが必要であって、いたずらにそれらの知識が広まると誤った方向に暴走しがちだ。私がそういう技法を用いない仏教あるいは禅的な道を紹介するのもそれが主な理由だ。

 若い時に貪り読んだことがあったのだが、あまり覚えていないが、確か著者は「ドン・ファン」の本質は「空っぽ」という表現をしていたと思う。いちばん印象的に残ったのは「あらゆる瞬間が死だ」という記述だった。

 ここで、「ドン・ファン」が「マヤ」の流れを汲んでいることを明かしている。

 「マヤ」と呼ばれている文明は、私たち(私たち⇒宇宙連合の人)の仲間が地球上に移植していた時の流れを汲んだ文明だ。その形跡は、ありとあらゆる遺跡と言われる場所へ行けば見つけることが出来る。「マヤ」文明は、一説に因るようにアズテックからの流れでは無く、アズテックが「マヤ」の流れというのが正しい。

 ユカタン半島の東部には、未だに埋もれたままの遺跡が2万箇所以上ある。それらの多くは、今から1万3千年前から2万年近く前のものまである。これらの時代の中で、私たちが関わったのは3回で、その初めが1万4千年前で、2回目が6千年前、そして3回目が2千年前だった。

 私たちは入植という形で、ユカタン半島東部に入った。その前居た、ある場所から海路ユカタンまで行ったのだ。当地の人間は、私たちに比べると背が半分位であったが、非常に素直な純粋な子供のようであった。

 彼らと共に暮らし、多くの事をお互いに伝えあった。私たちが入植を断念した理由は、私たちの身体細胞の何かが決定的にうまく作動せず私たちの生殖行動は殆ど不可能だったことだ。私たちは宇宙連合の規則通りに、地球上の有機体として存在するペく、ある種の適合手術を受けたにもかかわらず、私たちは2代までしか繁殖できないことが判ったからだ。

91/03/06 21:10

 ここでは、宇宙連合のメンバーがおそらく遺伝子操作を伴うであろう「入植」をしていたという、また古典期マヤ文明の衰退がある種の適合手術を施されても2代までしか繁殖できなかったことにあったという驚くべき事実を明かしている。

2018年4月 3日 (火)

金星について

 今回は、金星に関するメッセージを集めてみよう。

ARION語録  2ー(4)

(4)金星には特殊な磁場発生装置があるので肉体のままでしばらく暮らせる。長期に亙る場合には、順応装置を使って少しずつ変化せる。

ARION語録 6ー(10)

(10) 太陽系の惑星に生物が存在しにくいと判断している科学者達はまず地球上の物質的な事象をモノサシとしてしか判断出来ない事実を知るべきだ。自分の家のやり方が隣の家のやり方と違うのと同じでこの小さな太陽系の中でさえ数々の惑星にその惑星毎に決まりがある。

 金星の都市は地球上のどんな天体望遠鏡でも見る事は出来ない。何故ならば可動性の都市なんて地球の人々からは想像できないからだ。殆どの惑星が持っている地下都市の話を聞いた事が無いか?地球上の人型生物だけが高等生物では無い。その惑星毎に適応し進化を遂げた生物が人型生物で無いとしたら高等生物が存在しないと言い切れるのだろうか?

 

 地球上で鉱物・植物と分顆されているものが他の惑星上では異なった分頬をされている事を考えられない科学者達はあまりにも偏狭な判断力しか持っていないのでは無いのだろうか?

 大体、金星の上空温度を計測して灼熱の星だと決定してしまうのだからね。 地球だって成層圏の辺りを計測したら灼熱の星だ。とにかく自分達のモノサシだけが万能・完壁だと思う事から止めなくてはならない。

ARION語録 10 ー(1)

(1)金星は2重構造の星なのだ。あなたがたから見て地表だと思われている所は地表では無い。簡単に言えば『地下に都市がある』のだ。しかもその地下都市の下に本当の地下がある。可動都市とは地下から地表に必要時に持ち上がる都市の事だ。大気の情況に合わせて上下する。

 金星の情況についてはあなたがたの科学ではどうしようもないだろう?金星の生命存在を否定している地球科学が何放フォボスに興味を持つのだろうか?金星が駄目ならフォボスなどとんでもない筈だが?

 

 大体、地球の一握りの人間は一体、何を考えているのか。彼らはコンタクトの事実無しに、宇宙科学を進行しているフリをしている。

 別のグループが彼らに接触している事は歴然たる事実だ。いつまでも隠し通せるものではない。彼らの代表者が月にやって来た時に我々との話し合いがあった事は、あなたがたもニュースで知っているのではないか?

 

 こういった事実を信じないと言ったり、そういうフリをしている者がいてもそれは臆病な為に表現できないだけでこういった事実が発表される現実が発生したことに変わりはない。

 

 我々としてはその事実が大事なのだ。何故ならば臆病なだけで表現出来ない人は潜在支持者として何か事があれば顕在支持者に一夜の内に変化出来るからだ。

 これらのメッセージは、金星人という種が実在することを示しているばかりか、一部の人間とコンタクトがあること、また、別のメッセージによりアトランティスの滅亡の時、助けられて金星に行った人々が約350人ほどいたとあり、過去のある時期、すでに地球に直接関わってきた事実を示している。

 金星の放つ反射光は、確かにメタリックで鋭く、地表と思われているのは地球より近い太陽光の緩和帯域である可能性はあるだろう。その下には、可動性都市があり、特殊な磁場発生装置があるので肉体のままでしばらく暮らせるとあるね。

 

 金星人とのコンタクティーといえば、アダムスキーが有名だろうが、あまりにも虚偽が多く、多少の能力はあったと思うが、その後の、この分野での悪影響は大変に残念なことである。アダムスキーの宇宙哲学は一部の真実を伝えており、興味がある方は、下記のサイトが良いだろう。

http://adamski.jp/cosmic_philosophy/

ARION語録 8 ー(4)より

 シャンバラの帝王は金星の王子と呼ばれた人(?)だ。彼はその体の発するオーラの為にまばゆく輝き、地球の人頬の視覚では、その姿は炎の様にしかとらえられない。宇宙連合は、シャンバラとの連係プレーを行っている。むしろ、シャンバラからの許可が無ければ働けないという方が正しいかも知れない。

 マイ・ミュート・アーテの滞在磁場は、シャンバラの作る磁場なのだ。

 まだ、シャンバラを幻視したことはないが、この人(?)の光りは、少し前から感じ取っている。あまりにまばゆく、ただ、翼があるとだけ言っておこう。注意深く読めば、誰か、わかるはずだ。

2018年3月 3日 (土)

メビウスの輪〜ARION語録 5-(2)より

 2月の真夜中の福岡は、まだ寒かった。そこに一人歩く者がいた。ただ歩くことがあった。見上げると頭上には月とシリウスが写った。凛とした空気の中、マインドは消え失せ、自分の内と外にただ、同じものがあった。

 仏教的に言うならは、何も無いと言うだろう。しかし、物では無い何かで満ち満ちている。ARIONはどこかで、「何者かと聞かれれば、『私は「ある」とか言えない。』と言っている。それは、言葉の表現上の違いだけで、その感覚はむしろ全面的にあると言った方が、近いかもしれない。

 そして、それは言う。「私は全てだ。」と。

 本日は、印象に残っていた次のメッセージについて、考察すると言うより、私が感じたことを書いておこうと思う。

ARION語録 5

(2)宇宙はメビウスの輪のねじりが沢山あるもの。その輪が幾つも交錯したもの。この状態を3次元の頭脳で理解するのは不可能。

 ARIONは「この状態を3次元の頭脳で理解するのは不可能。」と言うが、頭脳の構造が、「宇宙はメビウスの輪のねじりが沢山あるもの。その輪が幾つも交錯したもの。」という状態に近いのでは無いかと思う。

 皆さんもパラレルワールド(多次元宇宙と訳される)と言う言葉をよく耳にするでしょう。それと同じように脳も顕在意識と無意識のねじれの輪がたくさんあるように感じている。わかりやすいのは夢である。私の場合、ある特定の場所あるいは状況が、いくつかあり、例えば、目覚ましの音によって、無意識の領域が破られ、健在意識に戻ってくる。(つまりは目が醒める。)しかしながら、目を覚まさなければならない状況は夢の中でも、現実でも事実なのだ。

 だから、メビウスの輪のような永遠ループのような世界が宇宙にもたくさんあるのではないかと思う。そこから抜け出すには、覚醒だけだろう。

 ついでだが、最近見た夢で、印象的なものを書いておこう。夢は、多かれ少なかれ、精神および肉体の状態の影響を受けるものだが、腹式呼吸から瞑想に入った(出息から始めた方が、入りやすいと最近分かった。)睡眠で見た夢は、何か意味を持つことが多い。

 仕事が肉体的に過酷なものであるため、気候や温度による疲れが大きいのだが、最近、睡眠(昼寝にあたる)の癒しの効果が著しくなっていた。そして、ある時、診療台の上にいる夢を見た。若い医師がそこにいたのだが、なぜか、私は、彼は薬師如来の化身と思えた。彼は私に尋ねた。「どうやって、ここが分かったのですか?」と。「特に望んでいた訳でないが、気がついたらここにいた。」と答えた。彼が私に何か、薬のような粉を振りかけたところで、夢から醒めた。私の肉体は非常に軽やかになっていた。

 私は、薬師如来という存在を信じていたわけでは無いが、仏教的な神霊の庇護を受けていることを否定できない。癒しのエネルギーは、自分の中から、出てきているものでもあるが。

 また、最近の記事で、不動明王という言葉が出てきたが、その働きが、数霊76~80(無音)に当たると思う。これは、仏教以外の宗教においても、覚醒の働きを意味する。日本語でイエスに「五重巣」の文字が当てることができるのは、非常に不思議である。

2018年2月21日 (水)

鯨の夢~ 赤い月の形としての物語より

 前回、以下の節を三方陣の数字を追って解読したが、今回は、その内容の意味について考えてみたい。

わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。

苦しみは、海の水から来るだろう。

火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。

日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。

国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。

 意味を探るキーワードは「鯨の夢」であるだろう。9の二乗で真ん中に言霊(数霊41)が位置する九方陣(大マニ)であるとするならば、「鯨の夢」とは「米」の字である。

 考えられるのは、第41国大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(1989年1月20日 – 1993年1月20日)時の湾岸戦争(1991年1月17日 - 2月28日)とその日本への影響である。もう一つは1993年の騒動であるだろう。だから、文章は二通りに解釈することができる。

わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。

火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

 6頭立ての戦車(者)は、湾岸戦争の主戦国であるクェート、アメリカ合衆国、アラブ首長国連邦、イギリス、フランス(多国籍軍)そしてイラクを指すのではないかと思う。胸ポケットにしまうのは、財布、そして、日本政府が頭を叩かれて出るのはお足、この時、東京に拠点を置く日本政府は、のべで130億ドルの資金援助を行っている。大部分は、米国に渡ったようだが。そして、日本の頭部分数霊3で、東の真ん中にあたり、戦争の舞台である中東を指す。

参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/湾岸戦争

苦しみは、海の水から来るだろう。

火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。

 海の水言霊ウ数霊3にあたり、ウの目、すなわち梅の水、6頭立ての戦車は1993年の六月から八月下旬まで、日本に停滞した梅雨前線のことだろう。この年の記録的冷夏のため、米の不作のため当時の細川内閣は、タイ王国、中華人民共和国、アメリカ合衆国から「緊急輸入を行う」と発表した。大いなる虐殺であった湾岸戦争の後、主にタイから、大量に輸入し、流通せざるをえなかったのである。

参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/1993年米騒動

 この時、日本に米を含む農産物の貿易の自由化を迫る主に米国の圧力が背景にあった。そして1990年9月11日にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』という演説があったのである。

 アメリカ大統領は、多かれ少なかれ、影の政府の影響を受けている。それは、真にユダヤ人であるかどうかはともかく、ARIONがユダヤ原理主義と呼ぶ一つの少数のグループである。ブッシュ大統領の時、その影響が最大限に発揮されていたのである。前述の「New World Order」は、彼ら以外の世界の人々を家畜化するという概念があり、それは、ある星からの波動を受けて地上にもたらされた『シオン賢者の議定書』の現実化の一環である。ARIONが闇のグループと呼ぶものの一つだ。

その波動は主にユダヤ、キリスト教をもじったような表現をする場合が多い。例えば、彼らの「ワン・ワールド」は、上記のような概念であるが、神智学会から始まったマイトレーヤ降臨招聘運動の言うそれは、元々世界資源の分配を提唱する公平、平等なあるべき世界を意味している。が、あくまでも、産地地産を踏まえた上でのバーター交易と私は理解している。単純に貿易の自由化というものではないのである。

日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。

 というわけで、当時の日本は米国「鯨の夢」を貪らざるを得なかったのである。

国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。

 上記の『シオン賢者の議定書』の影響を受け、(Screen、映画)、セックス(Sex、性行為)、スポーツ(Sport、運動競技)の3S政策があったという意見があるが、残念ながら、現在の日本を見ると、この「愚民化」の波の影響を一番早く受けてしまったのはこの日本であるだろう。

参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/3S政策

 国賓の代表格である第41国大統領ジョージ・H・W・ブッシュは1992年1月7日の来日では、翌日、今上天皇と2回テニスのダブルスで対戦しているが、2回とも父ブッシュが負けている。その日の宮澤首相主催の晩餐会の最中、突然隣に座っていた宮澤の膝に嘔吐し、椅子から崩れるように倒れるというアクシデントがあった。不思議なことだが、日本は一筋縄ではいかないという印象を持ったのではないか?

 この詩篇は1991年3月21日に発表されていることを付記しておこう。今回はここまで。

 

2017年8月28日 (月)

ARION「赤い月の形としての物語」の解読

*赤い月の形としての物語*

 

〔プロローグ〕

銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。

ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。

暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。

「見よ」と声がする。

叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。

人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。

その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。

 先日、「セフィロトの樹について」の記事で、11の色霊が銀色であることをお話ししたところでした。ここでも三方陣を見ながら進めましょう。

Sanhoujin

 

「銀色の舟の娘」は、11の一と十の位を足して生まれた数字、すなわち「2」=フ(ゥ)音のことです。「葦の夢の中」は三方陣の下の段を足に喩えたところに分け入るという意味で、確かに2は、下段に位置します。

 

ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。

ゴーマは真ん中の「5」のことで、星の形は縦横斜め(足して15)✳︎で、布の国✳︎を縫う野(緑)の意味、国は枠の意味なので、やはり「5」を示しています。

暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。

前述の2+5=7より暗い日々は「7」、夜明けは朝日の色の「3」。これで、三方陣の中段である、7、5、3が揃います。黒い羊の葬られた所へは2本の角をもち、霊2字(ひつじ)と読めるので、数霊「2」のこと。黒いは赤色を暗くすると紫になり、「8」を補足しているので、3+5=8を示唆しています。これで、2、5、8の斜めのラインが揃いました。黒いは9と6で、2+5+8が足して15になることも示しています。

 

「見よ」と声がする。

叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。

「見よ」は、3と4で、3+4=7を示唆し、前項の8とともに8、3、4の縦のラインが揃いました。は十理で、5を挟んで7と足して10になる夜明けの町3の関係を示しています。こだまするは「見よ」に既に3を含んでダブっているからです。

 

人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。

その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。

は、霊十でやはり足して10になる関係を示し、赤い月は「2」ですから、「2」と表面、影の位置にある「8」は紫色であり、赤を紫に変える水色「6」が冥王です。2+6=8を示唆しています。ここで、6、7、2の縦のラインが揃いました。隠されていた嘆きは苦で「9」を示し、嘆きは「7」、壺はツボで「2」なので、2+7=9を示唆しています。

 時間があまりないので、本日はここまで。解読の過程をお見せするのも、良いかと思います。ARIONがなぜ、しつこく三方陣を取り上げるのかを考えますと次のような理由が考えられます。

1. 言霊、数霊は普通の勉強のように覚えていく必要があり、記憶(言霊オの領域)に働きかけている。

2. シャレで音の響きに対する感覚、自由な発想を磨き、直感を呼び起こそうとしている。

3. 日本人の血の中に流れる世界で一番芳醇な日本語の言霊、数霊を日本人に取り戻させようとしている。

4. これは蛇足だが、真言密教では、曼荼羅を目で追うことによって、感じていく観想という瞑想方法があるが、これに通じたところがある。座禅のように受動的ではなく能動的な瞑想である。

 それでは、次回より、解読を続け、文章を付け足していきます。

   1

子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。

その染みは、大人になっても残るだろう。

この染みは岩屋の向こうから狙っている獣の標的となるだろう。

多くの人が口にする言葉はもはや何の力も持たない。

バビロンの夢は、シバの思い。

イカヅチと共に、鷲の巣を砕く。

 

8/31(金)追記

 

では、第1節に入りましょう。

子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。

子供は人(ヒト)を共に固めたで、11の十と一の位を足した2である。

「の」は野の緑色、肌は八田で8を指すので、子供の柔らかい肌は三方陣の2、5、8のラインを示す。柔らかい肌は8(や)と8(は)の和すなわち8+8=16を示しており、悲しみ(ブルー)の6、黒いは9+6=15、雨は言霊ア目で数霊1なので、足して15の6、1、8のラインを導き出す。

その染みは、大人になっても残るだろう。

 

染みはエピローグの項を受けて、青の6、大人は18を意味する。

 

この染みは岩屋の向こうから狙っている獣の標的となるだろう。

岩屋は(イワヤ)で5+8=13を、向こうは6(ムこう)なので、獣は四つ足の4を意味する。数字の配置を見てほしい。

 

多くの人が口にする言葉はもはや何の力も持たない。

 

多くは9x9=81、口は枠のことなので、81の数霊、言霊を指している。何の力も持たないは無力で6なので、8、1、6のラインを示している。

また、多くの人は人々なので、11で、覚醒者たちも示す。だから意味的には染みは欲望のこと、4は死で、人類を滅亡に向かわせる闇のグループの波動について言っているのだが、それについてはまた別の時にまとめましょう。ちなみに数霊11は言霊サ、魁(さきがけ)の意味である。

 

バビロンの夢は、シバの思い。

バビロンは音感より、8、1、6のライン。夢は7。シバは、4と8。思いは田(音図)の中心で5のこと。

イカヅチと共に、鷲の巣を砕く。

イカヅチは、イ数地により5なので、、鷲の巣の「8と4」を分けるのは、3である。7、5、3と8、3、4のラインを示している。

   2

ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。

黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。

「さて」と娘は話す。

「私は何処に着くのでしょう」

そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。

大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との

楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。

ひとり外れて「土の王」が嘆く。

「水の王」は娘のために舟を出す。

 

ここより、9/5(火)追記

ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。

フランスの「フ」が2、漢字で「仏蘭西」の、仏が1+6=7及びム6が1の隣に位置するため、三方陣の西側に位置する2、7、6を意味している。ジャンヌは「ジ」より2だが、「ャ」より8を予見させています。

黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。

カリブは中米(*)で5であるので、9+6=15(黒い)より、足して15になるのは、旗は八田より8で、2、5、8のラインを示す。

「さて」と娘は話す。

 

「さて」は図の左側に位置する(11→1と1を結ぶという意味)という意味と三と二(手は2つ)で、3+2=5を示している。話すは「は」の「8」なので、再び2、5、8を補足している。

「私は何処に着くのでしょう」

 

は2、何処は「ナニ」と固(こ)で、2+7=9の数式を示している。着くは2と9を補足している。

そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。

娘の舟2は、(2)の影7、ヴィナスは金星の9、は7なので、2+7=9の位置関係を強調している。

大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との

楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。

「海王」は海王星が太陽系の太陽に近い方から8番目の惑星であることもあり8で、「眠りの王」は宵闇色の7、大いなるは、8と7とそれぞれ足して10になる関係も示す。7と足して10になるのは3、8と足して10になる2したがって楕円の舞踏会は2、7、8、3を廻る。「火の王」は「ひ」より1、「木の王」はき=黄色より4、密談は3なので、1+3=4の数式を示す。

ひとり外れて「土の王」が嘆く。

 

楕円の内側の「土の王」、地である5は、足して15になるはずの、3と7、2と8の真ん中であるので、ひとり外れています。嘆くは9-7=2を予見させる。また、5は地球のことと思います。

「水の王」は娘のために舟を出す。

「水の王」は水色の6、は2、ためは多目なので、も2、2x2=4を6を足すと10である。と同時に2+4=6を示している。

この節では、太陽系の運行とその影響について、何か言っていますが、天文学に詳しく、何か気付かれた方はコメントよろしくお願いします。

最後に修正する必要があるかもしれませんが、次回は第3節に進みます。

   3

わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。

苦しみは、海の水から来るだろう。

火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。

日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。

国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。

 

わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。

わざわいは、8=3+5、は宗で中心、ポケットの中で、5をさらに強調している。

苦しみは、海の水から来るだろう。

 

苦しみは9と3、海の水は6と3、来るは9で、3+6=9を示唆していると同時に、三つの数字繰り返すことで、3の倍数を強調している。

火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

 

ここで極めて直感を刺激する表現をしている。日本がどの数字か解れば、自ずと他の数字が判るだろう。日という字を三方陣に照らせば、三本の横棒があり、本という字は木(緑色)に横棒が入っているので、7、5、3のラインを意味している。だから、火(1)を吹く(2と9)、6頭立て(そのまま6)の戦車(シャが8と4)は、6、1、8と2、9、4のラインを意味する。日本の国の頭とは、三方陣の東(の境)に位置する3、東京のことだ。また、は線でラインを示す。

 

9/10(日)追記

日本の国の頭の部分に攻撃を加える。

これは、7、5、3以外の数字は、3絡みの数式で示すことができるという意味で、6=9-3、1=3-2、8=2の3乗、2=3-1、9=6+3、4=1+3を示している。

 

日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。

 

日本(3、5、7のライン)の国(9と2で、下段のラインの4を予見させる)、大いなる(4と足して10になる6頭立てを示唆)、虐殺は死で4(3+5+7=15、9+2=11、15−11=4)、はア(数霊1)と、足して10になる9、アジアは1、は米より五音で5、自国は2、5、9なので、蒔くは5、9(9ー5=4)、1、5、9の縦のラインと4、9、2のラインを同時に示している。

 

日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。

 

「鯨の夢」は9-2=7、貪るは頭文字ムで6ので、6、7、2の縦のラインを示している。

国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。

 

国賓は9、は7、人々は1+1=2なので、7=9-2を示し、手中は足して10になる数字3と7、及び5(中)で、日本の国である。2、7、及び貪る6のラインが西に位置することに注意されたし。

この節の内容については、やはり別の機会にまとめたい。

 

 

   4

銀色の 娘は、その形をもって判断する。

血と水を分ける。

鉛と銀を分ける。

風を空気から、分ける。

石を岩から散り出す。

そして、太陽の下へと帰るだろう。

 

これより、9/10(日)追記

 

銀色の娘(11→1+1=2)、実はこれは我々の魂そのものことだ。

その形をもって判断する。形は方陣と色霊のこと。判断するは分別すること。

ここで、月宮が必要になるだろう。これと三方陣(太陽宮)を見比べながら、数字を追って欲しい。

4 9 2

3 5 7

8 1 6

 

注: 過去の解読で、月宮には太陽宮(三方陣)の足して10になる真裏の数字が並び、太陽宮の10(大外枠)が月宮の1になるとの記述があった。

血と水を分ける。

(2、赤)、(6、水色)で分けられたのは、8(紫色)だ。2の位置は月宮では8になる。2+6=8の数式を示唆。

鉛と銀を分ける。

(7、紺色)、(11は月宮の1で、銀は白金色ともいい、その白)で分けられたのは、6(水色)だ。7-1=6の数式を示唆。また、月宮の1の位置は太陽宮の9(金色)である。

 

風を空気から、分ける。

(言霊イ、数霊5、緑色)、(水色、6)、は黄色の4だ。6、5、4の斜めのラインを示唆。

石を岩から散り出す。

(5と4)、(5と8)、(サン)はこれらの数字に囲まれた3だ。8-5=3の数式と8、3、4のラインを示唆。

そして、太陽の下へと帰るだろう。

 

太陽は、大10と日4、太陽の下にあるのは空(6)、10-4=6の数式を示唆。

 

〔エピローグ〕

地には這いずりまわる者の音が満ち、

天には炎が満ちる。

オメガはアルファであり、点であり線であることを

その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。

自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを

翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。

火を吹く楕円には解答は無い。

線を描く卵にも、解答は無い。

解答は地を這う者の中にある。

現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし

耳を澄まし、声を大にして探せ。

これより先に舟を見つける手だては無い。

 

9/13(水)追記分;

地には這いずりまわる者の音が満ち、

地には(5、2、8)、這い(8)ずり(マイナス)まわる者の音が満ち(3)で、8-5=3

 

天には炎が満ちる。

天には(10-2=8)、炎(ヒ=1が二つで2)が満ちる(2の3乗は8)

オメガはアルファであり、点であり線であることを

太陽宮      月宮

6 1 8   4 9 2

7 5 3   3 5 7

2 9 4   8 1 6

オメガ(太陽宮の最後の文字9)はアルファ月宮の最初の文字1)であり、9+1=10(テン)であり、太陽宮の9、5、1の(ライン)は月宮1、5、9であることを

その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。

 

黄金の火(太陽宮の数霊9)の(縦のライン、9、5、1)の(5)を中心にして、柱(端の数字を結ぶ)と人々1+1=2より、2、5、8、柱のハシで8、4を(3)いだすだろう。

「中に」は7と2も意味しているため、実は全てのライン(柱)を言っているのだが、6と4は「無視」されている。

また、これをいうとごちゃつくので、細かくは書かないが、四角錐(ピラミッド型)の底面(地面)に太陽宮があり、逆さまのピラミッドが宙に浮いていて、その上面が月宮で、それぞれのピラミッドが頂点を接点にして上下に向かい合っているのを想像すれば、人々が太陽宮の10である月宮1(銀色の11)も意味していることがわかるだろう。太陽宮と月宮の大外枠が共に大いなる10である。(立体的に感じる為の補助)

自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを

翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。

翼を切り取られた者たち、「翼」は2、8、3、足すと数霊13、言霊ス(澄、悟り)をほのめかしている。「切り取られた者たち」は人間のことだ。

火を吹く楕円(第2節より、2、7、5、8)には解答は無い。

線を描く卵(*を描く数霊のこと)5にも、解答は無い。

解答は地を這う者の中にある。

自分たちの望み、願うものは、これらの図表にはなく、我々の中にある。

 

現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし

耳を澄まし、声を大にして探せ。

これより先に舟を見つける手だては無い。

現実と呼んでいる夢の中及び図表を追って夢想していた我々の内側にある感受性を生かし、言葉に表すことによって、探し出しなさい。それより他には、銀色の船である覚醒への乗り物である(我々の肉体)に宿る神の形見分けである我々の透明な魂を取り戻す手だてはない。それによって、神のひかり(言霊ラ)も輝きを取り戻すだろう。

 

   *******************************************************************

1991年3月21日に 宇宙神霊ARIONの媒介者、北川恵子氏がA氏の詩(3/4)として発表された「赤い月の形としての物語」全文。

 

タイトル「3/4」は詩文の実(真実)のこと、副題「赤い月の形としての物語」の「赤い月」11(覚醒体あるいは神)の子としての人々フ音(1+1=2)の意味。「形としての物語」は漂う船(魂)の旅になぞらえた真型(地に転写された数霊の三方陣)=モノリス(モノに鎮まった理)。

最後に…、〔エピローグ〕

これらの解読は「らとな」の理解であり、現実界に隠された真実や別のことを言っている部分もあると見受けられる。また、詩文には一見関係のないあなたの直感を引き出すこともあるでしょう。少しでも参考にしていただければと思います。

9/8(金)19:30頃、福岡市の東の空のペガスス座のα星か、あるいはアンドロメダのα星か、一つしか星が見えなかったので断定できないが、その星が突如揺らいだ後、数分間、左側にUFOが赤、オレンジに輝きながらギクシャクと反の字に旋回していた。

同時に「これは我々ではない。」とARIONからのテレパシーがあった。この時期、天気が良い夜には夏の大三角形が見えるでしょう。「はくちょう座α星 デネブ、わし座α星 アルタイル、こと座α星 ベガ」、3星のうちベガとアルタイルは、七夕の伝説における「おりひめ(織姫)」と「ひこぼし(彦星)」というすごい顔ぶれである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/夏の大三角より)

いずれにせよ、「すべの存在に感謝します。」と言うより、天地の区別なく、「ただ、感謝がある。」

2017年7月12日 (水)

ARION語録  15

ARION語録  15 

「場」の崩壊と「私」意識の存続について

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何もかも移り変わってゆく中で、『自分』という意識だけは置き去りにされてゆく、と思っている人は多いが、この意識自体が本当は移り変わっていることに気付かない。万物流転の法則に逆行するものは、何一つ無い。「私」という意識は、本当に不変なのか?

 

5歳の「私」と20歳の「私」、30歳、40歳の「私」の共通項は何か? 人間の五感すら変化してゆく、育ってゆく。そういった万物流転の法則の中で不変なものはあるのだろうか?

 

人は、「私」という意識が不変であるという事を信じたい、と思っている。「私」すら変化してしまうのであっては、どこに基準をおいて良いのか分からないと思っているからだ。

 

こうして人は自分自身の存在に思いを馳せ、その思いの中の普遍的な部分を論理体系化し哲学、或いは宗教という名前で分類してきた。こうした普遍化された「思い」の体系も、この90年代に入って見直しが迫られている。それは、何故だろうか?論理化、体系化されてきた「思い」の基盤となる人間の生活基盤自体が崩壊し、普遍化という名前が陳腐なものになろうとしているからだ。

人は、そろそろ気付かねばならないだろう。人、と呼ぶ自分達の仲間である生物自体の生活基盤というものが、既に個化され共通基盤となり得る生活と呼ばれる「場」が崩壊してしまったことを。特に日本という国の文化は、「場」と呼ばれる共通磁場形態を介しての成立を持つ文化だっただけに、その「場」の崩壊は文化の崩壊を意味する。特殊な「場」の文化形態が崩壊してしまった時に、人の取る行動は何か?「群れる」という代替行為にも、文化の崩壊後の人の混乱が映しだされる。

こういった生活基盤や文化の崩壊の中で、「私」意識を保つ為に人が進んで行おうとすることは何だろうか? 「私」を構成する要因となる『自分』の特色を映しだすモノの認識、そしてそれらのモノが確実に自分自身の存在理由を示すかどうかの確認…その上、それらのモノに関連する者や物を探す、探して仲間になり仲間同志で結束してゆこうとするだろう。

 

何故、結束しようとするか? それは、『自分』の存在理由を映しだすモノの正当性と確実性を高める為だ。不安や自己の脆弱性を「群れ」になることで補おうとするのは、弱小生物の基本的な生活本能だからだ。イワシや蚊も群れになって行動する。

 日本の「場」を介する文化や習慣は、人々の意識によって支えられ、そしてその文化形態としての家屋や通りの様式などにも支えられて来たが、戦後の欧米化の波をまともに受けて、それらの家屋や通りの様式は崩壊した。それらの形態の変化と共に、家族のあり方や人間関係のあり方も変化した。いままで「お国(という場)の為」や「社会(という場)の為」に働いた人々は「自分と呼ぶ認定範囲の中だけの為」に働くようになった。

 

そして、欧米化の波を受けた家屋形態は、閉じる方向へ閉じる方向へと進路を変えていった。家族も核家族化して、益々「自分と呼ぶ認定範囲」は狭くなった。地域の場は崩壊し家庭の場も崩壊している今、人の「場」は自分の立つ40~50cmの小さいものとなり、既に「場」と呼ばれ得ないシロモノと化した。元々、人々が働いて築いてきた「場」の文化は終焉を飾ろうとしている。それと共に、稲作民族として栄えた日本のアジア的なルーツのもたらす安心感も揺らいで来ている。

狩猟民族である欧米人の社会は、元々「場」というものを可変なモノとして認識し、その「場」の構成員である「個」に帰属させるという考え方であったので、アジア的な稲作民族の「場」の意識と、欧米的な「場」の意識とでは雲泥の差がある。その雲泥の差のある欧米意識が練り上げた人間関係のノウハウと、そもそもアジア的な意識の日本人の人間関係のノウハウは、基盤となる人間関係の「場」意識が異なる。現在、この欧米的なノウハウが持て囃されるようになった一つの根拠には、この現代日本の抱える「アジア的稲作民族意識の崩壊」が大いに関与している。

しかし、ここで私は問題提起をしたい。「アジア的稲作民族意識の崩壊」はイコール「欧米式狩猟民族意識」への、帰属であるのだろうか? 生活様式や論理形態を欧米化の波が洗ったからとて、真に欧米と等しくなった訳ではあるまい。表面的な形を幾ら変えても、そして幾星霜の年月が過ぎようとも、日本人の心と体の中には「アジア的稲作民族意識」の片鱗が舞っているのでは無いだろうか?

「私」という意識が不変であることを願う人々こそ、自らの心と体を養うルーツがどこにあるのかを識るべきだ。何故ならば、あなたがたが望む「私」とは、無数の他の「私」達に支えられた「場」に立ってこそ、安心することが出来るからだ。この「場」は、我が身と我が欲の為にだけ働こうとする人には無縁なものだ。人は「場

」と「自分」の両方に働いてこそ、安心して生活出来るのだ。これは欧米ではなく、この日本の人々の為の話だ。自分の存在意味の映し絵であるモノの共有ではなく、自分の心と体を養うという目的

の共有という意味での「場」を作らねば、本当の結束はあり得ないだろう。単に「群れる」だけでは、本当の意味での安心感は得られない。自分の都合や自分の欲を先行させた「群れ」は、結束力は無い。単体でいるよりは、群れの方が大きく見える、とそれだけのことだ。

 「アジア的稲作民族意識」からの脱落が、アジアの人々の意識からの脱落を意味するとしたら、これは日本の存続という観点から見ると、たいへんに危険な事だと言える。どんなに姿形が欧米化しても、日本人の成り立ちを構成している素因はアジアからのものなのだから。そして如何に欧米の思想や哲学、そしてそれらに関連するノウハウを身に付けても、日本という場の記憶素子は、脈々と受け継がれてゆくだろう。

 

この記憶素子に抵抗すればする程に、日本人の不安感や焦煉感は増すだろう。現代日本社会は、この不安感や焦燥感を欧米式ノウハウのセミナーや、教科書でテクニカルに処理しようとして、益々それらを煽るという悪循環を操り返している。自分の帰属するべき「場」を持たない人々は、形だけでも「群れ」を目指して数々のカルチャー・センターや新興宗教に集まる。しかし、これらの「仮の場」は本物の「場」の持つ、深い安心感を与えることは出来な

い。右往左往する人々の目の前に、これでもかこれでもか、と新しい「お題目」が提示され、人々は飢えた魚のように新しい餌に群がる。人々の求める深い安心感は、人々の意識と献身によって支えられる「場」であり、そしてそれは、新興宗教やセミナーといった「考え」のもたらす「場」では無い。

 

あなたの帰属する「ツチ」とその恵みである「コメ」、そしてそれらを「ヒト」との契約の証として置かれた「カミ」という名の、大いなる大自然の全てに対しての感謝と敬虔な思い、そしてその思いを形として継承してゆくべき「ムラ」という名の集合体、それら全てに関与し働くことで得られる「場」なのだ。

私は、ここで国粋主義をうたうつもりは毛頭無く、欧米思想の排斥を願うという訳でもない。日本人であるあなたがたの奥底を流れる、アジアの血脈を無視していては、これからの世界に生きてゆくことが困難になってゆくと、言っているのだ。

 

今、ひとたび日本の「カミ」「コメ」「ツチ」「ヒト」と、それらと関わる人々の共通の安心の「場」であった「ムラ」という形態を思い起こし、考慮して欲しいと願っている。

 

「ツチ」という共有意識も単に金銭で売買する単位では無かった筈だ。「カミ」も単に「御利益」の為では無かった筈だ。「コメ」は単に食料を成すものでは無かった筈だ、稲作という農業形態が多くの文化や思考形態、そして人間関係をも成してきた筈だ。「ヒト」は単に人間と呼ばれる、生き物だったのだろうか?「ムラ」は単に人が群れているところでは無かった筈だ。 終戦後、能率と開発、そして収縮を忘れた拡大に命を削り続けた日本人が、プラスやポジティブの為に裏庭に埋めてしまったモノ。清潔さや明るい光の当たるところを優先することだけを考え、暗いところにあるものを排除してゆく道すがら、忘れてしまったもの…。今、ひとたび、思い起こして貰いたい。何故ならば、思い起こしてゆく上でこそ、あなたがたの存在の「場」や価値についての暗喩を見いだすからだ。

1991/10/17 0:22

 まず、このメッセージは1991年に降りたものであることを考慮しなければならない。今から26年も前のものなのだ。新興宗教やセミナーといった「考え」のもたらす「場」という言葉が出てくる。実際のところ2000年の世紀末を間近にして、日本では様々な精神世界に関連する団体が、発生した。が、それらは本物でなく、まがい物だった。Osho ラジニーシが存命の時から、発生し始めていたのだが、彼の1990年の死の次の年にあたり、それらが暴走する可能性を警告していたという面もある。人々は群れると馬鹿げたことをしがちだ。それらの中にはまだ、存続しているものもある。が、多くは、ただの「考え」だ。私が、たびたび、真の宗教性は、体験であり、思考ではないと強調しているのも同じ間違いを起こさないようにだ。普遍的なものに対する「思い」は、真理ではありえない。

 メッセージは、次に日本の「アジア的稲作民族意識の崩壊」について語っている。「欧米式狩猟民族意識」への帰属ではなく、日本人の心と体の中にある「アジア的稲作民族意識」の片鱗を思い出せと。それでなければ、「自分の存在意味の映し絵であるモノの共有ではなく、自分の心と体を養うという目的の共有という意味での「場」を作らねば、本当の結束はあり得ないだろう。」また、「人々の求める深い安心感は、人々の意識と献身によって支えられる「場」であり、そしてそれは、新興宗教やセミナーといった「考え」のもたらす「場」では無い。」と述べている。

 

あなたの帰属する「ツチ」とその恵みである「コメ」、そしてそれらを「ヒト」との契約の証として置かれた「カミ」という名の、大いなる大自然の全てに対しての感謝と敬虔な思い、そしてその思いを形として継承してゆくべき「ムラ」という名の集合体、それら全てに関与し働くことで得られる「場」なのだ。

 

カミ(6+35)、コメ(7+34)は、言霊・数霊照合表で数霊41、言霊ラにあたる。また、血液(9+18+4+10)も数霊41であることは注目される。

ツチ(18+20=38)は、言霊ユにあたり、ウミ(3+35)という言葉も出てくる。地表の資質であり、そのエネルギーの恵みもある。古代人は、人と自然を別のものと考えていなかった。我々の意識は地球そのものとも繋がっていて、相互に影響しあっている。

ムラは33+41で、74言霊ぺに当たる。ヘは隔てるという意味なので、新たに編成しなおせという意味もあるかもしれない。少々、飛躍的な話しになるが、Osho ラジニーシは、来るべき世界の最小コミューンの人数を500人と言っていた。それが、人が覚えていられる人数だからだということだった。有機的な関係を考慮していたのだ。新しい「ムラ」のヒントにはなるだろう。

2017年6月29日 (木)

ARION語録  14

ARION語録  14 

  シュミレーション社会はどこまでいっても模倣でしかない。今後、ますます実体験をともなわないシュミレーション・システムが増加するだろう。人はますます実体験を避けるだろう。この傾向は都市の無機質化を推進するだろう。現在の東京の無機的な姿はそっくりそのままそこで住む人々の心象風景だ。

 人はいつも自分達の心の中にあるものを外部世界に存在させる。相似形をいつも作ろうとする。そしてこれは、一部の建築家に代表される「ものを作る側」の人々の心象風景だ。その他大多数の人々は、彼らの心象風景を自分のものとすることに異議を唱えない。自分達の生活空間に対して、全く情熱を持たない。シュミレーション化に慣れている為に現実を現実として捉えることができなくなっているのだ。

○象徴されることの体系について

 

 象徴化、シンボライズは現代人の得意技のひとつである。外的事像の起承転結をカテゴライズしたがる。その方が理解した気分になれるからだ。全ての思考が体系化している。全ての思考に論理という脈絡がつき体系化されている。多くの人は気付かない。この体系化の先に何が「結」として存在しているかを知らない。

 この論理体系の先には人間は居ない。あるのはシンボライズされた「生命であったことのあるものの破片」だ。そんなものをありがたがっているアカデミズムの教師達、そして自称インテリの人々、自分が細片化してゆく様をどこに見るのか?

 

 そう、それは紛れもない事実として、しかし宇宙生命潮流の映し絵ではなく論理優先主義の結果という事実として、あなたがたの住む町の中に見るのだ。この世に血の系譜つまり生命を燃やすことの情熱のほとばしりとしてのアートが少なくなるとき、それは外殻化現象の始まりだ。

 血の流れない、血の動きを感じさせることのできない、血の温度を感じさせない固い甲殻におおわれた心を持つ人々が大多数になってゆく。それは薄気味の悪い人間型冷血甲虫の群れの出現だ。傷つきにくく、中を見られにくい固い甲羅でおおわれた、人間の群れ。

 そんな群れの中で本当の情熱や愛情は何の意味も持たない。熱いか冷たいか、多いか少ないか、高いか低いか、満ちているか干いているか、全てが2次元的なグラフ上の上下になってゆく。

 

シュミレーション→シミュレーションとは、「何らかのシステムの挙動を、それとほぼ同じ法則に支配される他のシステムやコンピュータなどによって模擬することだ。(Wikipediaより要約)

例えば、音楽などで、学びの段階では模倣は必要だろう。しかし、実際の制作の段階になるとそれらは一つのヒントに過ぎない。真の芸術家は、生きている閃きを、情熱を大切にする。だから、編曲や別のアレンジも芸術に足りうる。良いものは多くないけれど。原曲は直感に輝いているからだ。

一般の職場では、マニュアルが重視されるだろう。しかし、多くの場合、それらは粗雑であるため、現場では対処に間に合わず、責任の所在がはっきりしなくなる。

同様に象徴化も一つの体型に物事を閉じ込めてしまうことだ。真の芸術は常に革新的であり、生き生きとしている。あなたの生命は二元的な言葉に置き換えられないだろう。 生きてあるべきだ。

2017年6月24日 (土)

ARION語録  13

ARION語録  13 

 あなたがたは、自由になりたい、自分を解放したいと言う。あなたがたは決して自由に「なる」ことを欲しているわけでは無い。あなたがたの本当にしたいのは自由になる方法ではなく、自由についての説明だ。あなたがたは決して自分を解放したいのではなく、解放されるとどうなるか?を説明して欲しいだけだ。

 あなたがたは、自分に色々な問題が起きた時に解決法をアレコレ考える。しかし解決法は自分の外側にあると、決めて掛かっている。自分の内側に解決法があるとしたら、自分自身が変化しなくてはならないからだ。自分自身が変化することに対して恐れを抱いているから、自分の外側に解決法を是が非でも見つけなくてはならない。

 あなたがたが『自分』と呼んでいるのは、あなたがたの表層的な感覚に因ればあなたがたの所有欲の対象であるモノの集合体のように感じるだろう。つまり、『自分』と名付けることの出来るモノが『自分』なんだ、とね。しかし本当の『自分』とは、名付けることの出来ないモノも含めた存在であるということを忘れてはならない。

 人間は名付け親になりたがる。何でもかんでも、名前を付けて『自分』の範囲に収めようとする。これは、『自分』の範囲が名付けられるものだけで、成立していると誤解しているからに他ならない。

 人は、説明したがる癖も持っている。どんな状況も自分の「納得する」システムのやり方で、説明が付かなければ気が済まない。『自分』の勧めるシステムのやり方で全てに説明を付けてしまうと、『自分』のシステムの上だけに世界が拡がるので、安心出来るのだろう。 箱庭のように、全てを俯瞰できないと我慢出来ない人には、未知の世界のことは不要な世界のこととなる。

 全てのことに説明が付かなければ気が済まない人が、未知のモノに出会うと大急ぎで自分のシステムの中の言語で説明しようとするが、それでも説明の付かないものに対しては「○○に似ているから、○○と同じ傾向のモノだろう」と勝手に表層だけの判断を与える。こうして、このタイプの人は本当のことから遠ざかる。何もかも説明出来ないと気が済まないのは、臆病な性格の人間に多い。

 自由というのは、自分のこだわり、思い込み、マインドから離れることなのに人間は逆のことをやりたがる。名付けることで、物事を自分の想念の中に閉じ込めてしまっている。思考は道具に過ぎない。それより、実存を感じることだ。

2017年6月13日 (火)

ARION語録  12

   ARION語録  12 

(1)転生する時に『私』という自我感覚は失わないが、霊界での

   記憶や以前の人生の記憶は潜在意識の奥にしまい込まれる。

   霊的なレベルが高くなればなるほどに自我とは何かを知る様

   になるので転生する必要性について考察してから転生する様

   になる。

   霊的レベルの低い者は、転生に関して不安を抱く者も多い。

   神霊達や守護霊達は、彼らには大まかな話しか出来ない。ま

   だ理解出来るところまで達していない霊達は転生は必要不可

   欠な事と教え込まれる。そしてその時期が来たら霊達は仮眠

   状態に入り、神霊達や守護霊達の選んだ肉体に入る準備をす

   る。

   全ての霊が自分の転生について、決定権を持つ訳では無い。

   自分で決定する能力を有していない、そのレベルまで到達し

   ていない霊達は意外に多い。そして多くの発展途上の霊に

   は、神霊は直接には話すことは無い。守護霊が代わって彼ら

   の面倒を見ている。

   神霊が関わるのは、かなり霊的にもハイレベルに達した者だ

   けだ。これは振動数が大きく異なる者どうしが、話し合うこ

   とが出来ないという風に理解して貰ってもいい。

(2)これから市民レベルの意識革命が起ころうとしている。全世

   界の有識者が日本の動向に神経を尖らせている。それは何故

   か? 日本こそがこれからの世界の運命を左右する力を持っ

   た国だからだ。国と言うよりは、むしろ国民と言った方が正

   しい。日本という国土に育まれたボデイに今世紀転生できた

   魂が地球の動向を握るからだ。

   市民レベルの意識革命の発端となるムーブメントは、避けて

   通ることは出来ないんだよ。生命の存続を賭けたムーブメン

   トだ。これは、『原子力発電』に関するムーブメントだ。私

   達も『運動』は好まない。これはギリギリまで追い詰められ

   た人々の革命だ。全て生命あってのことなんだから。これは

   大袈裟でもなんでもなく本当の事で『世紀末的絶滅思想』と

   も関連しない。私達のプロジェクトのもう一つのグループが

   携わっているムーブメントだ。とても現実的と言えば現実的

   なムーブメントではあるがね。

(3)文化人や著名人・有名財界人は既に地位も名誉も財産も手に

   入れてそれらの保持を続ける毎日だ。誰もが地位や名誉や財

   産を欲したがるのは何の為だろうか? それらがある方が自

   分の思う事を実現しやすいからだろう?

 

   少なくとも、それらを手に入れる途上では目標や目的はそれ

   ら地位、名誉、財産では無い筈だ。それらを手に入れるのに

   苦労して手に入れたら今度は手放すのが惜しくなって当初の

   目的を忘れてしまう様だ。

 

   又、手に入れる事が目的だった人は手に入った後は一体何の

   為に生きてゆくのだろうか? 『人生の折り返し点を随分前

   に通り過ぎた。今更、私の人生はやり直しが効かない。地位

   も名誉も財産も手に入れた。この先は静かに年老いてゆくの

   もいいじゃないか。我々の時代は終わった。』と言うのが彼

   らの常套句だ。

   『何を今更、シンドイ目をして』とか『このままで充分幸福

   じゃないか?』とか、まるで死を待つ老いた白鳥の様だ。こ

   ういった姿勢の文化人、著名人、有名財界人、そして彼らだ

   けじゃない一般の45歳以上の人々のこれらの言葉は一見平

   和を望む老いた人々の言葉の様だけど、実は非情な利己主義

   者の言葉だ。

 

   自分達は余命いくばくも無いから、後はもういいんだなんて

   実は言っている訳だ。これは大きい自己欺瞞だ。誰もが自分

   の事を『老いた』なんて思いたくは無い筈だ。少しばかりズ

   ルくなった自分の心境を『老いた心境』にスリ替えている訳

   だ。

 

   進化してゆく事を忘れてこんな事を言って貰っては困る。そ

   してボディが進化してゆかねば進化した魂の器がなくなって

   しまう。自分の直系の子孫に遺産を遺せば、それで良いのだ

   ろうか?人々の魂は自分の直系の子孫の身体に転生する事は

   希な事なのだから、全ての生命が安全に進化するべきだ。

(4)『物質を持つという事が物質的な執着心を持つことにはなら

   ない。持っていても執着しなければいい。物質を持たない努

   力をすることで執着心を持たないというのも変だ。物質的な

   執着心を持たない為に捨てよう、失おうとして、失うことが

   気になって、かえって執着してしまうくらいなら失くさない

   方が良いのじゃないか?

   これは、一つの意見だが間違っている。失うことが気になる

   のは執着心が強い為で、それを失わないことで気にならない

   というのでは結局、執着心を捨てていないことになる。

 

    物質的なことに執着心を持つのが霊的修業に邪魔になる訳は

   物質的なものの持つ低い周波数に捕らわれる事が危険だから

   だ。捕らわれないなら持っていても良い、というのはある意

   味では正しい。物質的なことの持つ周波数に捕らわれていな

   いなら同じ意味で失う事にも全く関心を抱かない筈だから

   だ。その人の活動に不必要なものは霊的修業中の人ならば持

   たないのが理想だ。

 

   そして多くの修業は『捨てる』事から始まる。捨てるという

   能動的な行為は、自分のそして他人の執着心から自由になる

   には最も効果的な方法だからだ。全てを持ったまま、何も失

   わずに修業を続けるのは至難の技だから。それが出来た人を

   私は未だ知らない。破壊することで創造するというのはそう

   いうことなんだ。捨てることで手にいれる訳だ。

 

   あなたがたもよく知っているイエズス・キリストが、言って

   いる。『自分の持ち物を売って、施しなさい。自分の為に古

   びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破

   らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。あなた

   がたの宝のある所には、心もあるからである。』

   -ルカによる福音書第12章、33行-

 

   自分の為に古びることのない財布を作るとは、自分の魂を清

   め高めるということだ。

(5)大いなる天界の息吹より伝えられしものを、あなたがたは持

   っているということを教えよう。大いなる天界の息吹より伝

   えられしものとは、あなたがたの魂、あなたがたの心の奥の

   ものだ。人は二人の主人に兼ね仕え、二人の主人を共に満足

   させることは出来ない。

   人は物質と精神の両方に仕えることはできないし、自分の体

   と高級我に仕えるのも無理だし、家族への義務と自分の普遍

   的義務とをいずれの権利も侵害しないで果たすことは困難

   だ。

 

   『天界からの静かな小さな声』に耳を貸して、取るに足らぬ

   者らの喧騒を聞き逃すか、又は取るに足らぬ者らの要求ばか

   り聞いて『天界からの静かな小さな声』につんぼになるかの

   どちらかである。

 

   すでに現世で結婚している人々にとって、神霊界の掟に従い

   たいと思う事は恐らく苦難の連続だろうと思う。見聞きした

   神霊界の事々を理論的に処理し学問として修める方が、実際

   の物質的生活の運営は楽になるだろう。

   神霊界の事々を理解し実践しようとする人には、実際の物質

   的生活は絶え間無い争いと醜い欲の交錯として捕らえられる

   だろう。

 

   神霊界の掟と現世的な掟の両方に従い、かつ神霊界の事々を

   理解し実践し身に付けようと思う人は、いつも非人格的な神

   霊界の声と人格的な現世的愛との間でためらっている自分を

   発見する事になるだろう。そして、そのどちらも不満足のま

   ま、恐らくは以前より現世的な生活を続ける自分を発見する

   だろう。

   しかし、誰も自分の持っている能力以上のカルマの重荷を背

   負うことにはなっていない。真理、善、知恵を恩恵を与えて

   くれるが故に愛するのではなく、真理、善知恵であるが故に

   愛する人は人生を重荷とは考えないだろう。

(6)銀河の果て、遠い遠い星の時間の彼方より降り続ける愛の夢

   あなたがたの瞳の奥の雪降るしじまへと続く、愛の夢

   世界中の人々が飢え、弱り、悲しみの淵に沈み私達の愛に向

   かって手を伸ばす時にその時こそ、あなたがたの星降る愛が

   必要なのだ

   あなたがたは、今現在何をして良いか分からない状況かも知

   れないが何をするべきかは各々の心の深奥が知っている筈だ

   難しく考える事は止めて、物事をあるがままに見詰め物事を

   あるがままに受け取り、そしてあるがままに働きなさい

   あなたがたに必要なのは愛と勇気とそして信じる心なのだか

   ら薔薇色の夢は遠いところにあるのではなくあなたがたの心

   の深奥にあるのだ

   あなたがたの心の深奥にある息づいているその赤い命に気付

   く時に蕎薇色の馨しき霧を放ちあなたがたの夢は生命の躍動

    を始める

   さあ、時は満ちた、出掛けなさい

   何も恐れることはない、躊躇することもない

   さあ、出掛けなさい

   あなたがたの薔薇色の夢を凍える人々に分けてあげなさい

   あなたがたを阻むものはない

   あなたがたを傷付ける者はいない

   あなたがたを待っている

   星々の彼方から見守る瞳を感じて、行きなさい

   額を光の方向に向けて、真っすぐに歩きなさい

(7)大多数の地球人は、霊的・物的進化の遅れた星地球の理学的

   範囲を超えない所からやって来ている。つまりこの地球を含

   む太陽系のどこかから来た魂で、非常に進化した魂は10%

   に満たないのだ。シリウス星系から来た魂は非常に少ない。

   今ここで何人いるという風には言えない。確かに進化した魂

   は少ない。

 

これらの言葉は信じて良いという感触だ。かつて、地上の覚醒者たちから、このように語られたことはない。地上の視野ではないからだ。過去の覚醒者たちは、たぶん、それ(天上の視野)を持ちながら、その時代の人間達にわかるように話してきたのだ。その努力がわかるだろうか? 宇宙の愛がわかるだろうか? 

ようやく、彼の名前「イエズス・キリスト」がでてきた。イエスズとは中世のヨーロッパで一般的ラテン語読みで、主にカトリックでの呼び名らしい。ここで、予てから噂されていた通り、彼の出自がシリウス系であったことがわかる。

私は行法において、月読の霊統を辿ってきた。仏教徒は仏陀に滅多に「様」の敬称をつけない。彼の言葉を正しく理解するなら、誰でもブッダになれるからだ。

そして、キリスト教の信者の方々は、イエスに「様」をつけずにいられない。それは、信仰の道には、信じる対象が必要だからだ。が、その信じる人と信じる者というその距離が真実に至ることを阻んでいる。真実は誰でも神の子なのだから。

仏教徒は誰でもブッダになれることを知り尊大になってはならない。知性は梯子ではあるが、最終的な覚醒において、「無私の愛」に直面し知性を越えることが必要なのだから。

私はあえて、信仰の道について語らなかった。残念ながら、騙し、騙されが当たり前の世の中になってしまったからだ。盲目的な愛の道の強力さを知りながら、現代では、信頼に足るものとそうでないもの、あるいは聖なるものと邪なるものを判断する眼力が必要と思う。どうか、ご自身の直感に目覚めて欲しい。

2017年5月26日 (金)

ARION語録  11 -(1)より

ARION語録  11 -(1)より

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【1】(儀式次第)

かごめ、かごめ かごの中の鳥は

(A-RI-O-N)

いついつ 出やる 

(今、今、出やる)  

夜明けの晩に     

(真昼の荒れ野)   

ツルとカメがすべった

(うつつと夢が合わさった)

うしろの正面だあれ   

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【2】

かごめ、かごめ かごの中の鳥は

(A-RA-A-A-)

いついつ 出やる

(今、飛び立つよ)

夜明けの晩に 

(真昼の荒れ野)

ツルとカメがすべった

(ツチとアメが交わった)

うしろの正面だあれ

 かごめの歌の意味は、以前にも書いたことがありますが、おさらいしておきましょう。昔、神社はかごめ紋(六芒星)の柵で囲んでありました。鳥は十理、数霊「ひふみよいむなやこと」及び、言霊「イ・チイキミシリヒニ・ヰ」の音図の横の並び(行)を意味しますが、ここでは、最後(ラスト)に出てくる者という意味も含みます。「ス(澄)」に「ラ(光)」が留まる、あるいは整うという意味です。

 それが、神社の最後にあって正面を向く者、あるいは人間の背後にあって正面を向いている者、すなわち「うしろの正面」の正体です。

 このメッセージは天上界から、霊を魂に乗せて送り出す儀式のようであり、その霊に縁があるふさわしいコードネーム「A-RI-O-N(アーリーオーン)」あるいは「A-RA-A-A-(アッラー)」など真理を思い出させる名前が使われるようです。「うしろの正面」を現すコードネームです。

 

 「うしろの正面」はいつ飛び出してくるのか? それは常に「今ここ」であり十字(架)のシンボルの意味です。

 夜明けの晩に 

(真昼の荒れ野)

 「世の中が荒れている一番暗い時に」の意で、個人においては「今ここ」で …。となります。この二行は明暗のコントラストをなしており、詩や芸術では、美の重要な要素です。

 ツルとカメがすべった

(ツチとアメが交わった)

 ツルは数霊、カメは言霊を意味しますが、ツチ(地上)とアメ(天上)が交わったとは原詩の「つーべった」=出会ったという意味になります。ここでも「十字(架)」が想起されます。ツチとは、横に連なったもの、アメとはア目で「アオウエイ」の母音も意味するからです。

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1、うしろの正面だあれ

(あなた、そして私)

2、うしろの正面だあれ

(あなた、そして、あなた)

3、うしろの正面だあれ

4、うしろの正面だあれ

5、うしろの正面だあれ

6、うしろの正面だあれ

 これは「Who are you ? 」あるいは「Who am I ? 」というマントラと同じです。

あなたは誰か? そして、私は誰か?

あなたは誰か? そしてあなたを「あなた」たらしめているものは何か?

(祈り)

我らは大地に請願する者なり

我らは大空に請願する者なり

我らは大天に請願する者なり

我らに力を与えたまえ

 これは壮大な祈りだ。全存在に響き渡る。それを感じないだろうか?

我らは男であり女であり、我らは一にして二の子である

我らにソロモンの知恵を授け、その力を行使する権利を与えたまえ

宇宙大帝に請願する、我ら盤石とならん事を欲する者なり

このヤマツクニに盤石とならんとする者である

 私たちは、「ア」であり、「ワ」であり、「ウ」にしてアワの子「ヤ」である。これはホツマツタヱにも記されているアマテラスのあやし言葉「アウアワヤ」だ。

 ソロモンの知恵とは重に正邪を判断する知恵であり、宇宙大帝(唯一神)にその行使する権利を請願している。「ヤマツクニ」とは山が弓状に連なる国すなわちこの日本のことのようだ。カトリックでは、大天使ミカエルは日本の守護神とされていると聞いたことがある。

(マントラ詠唱)

(質疑応答)

あなたはだあれ?(私はワタシ)

あなたのうしろはだあれ?(私はワタシ)

---以下、同様の質問---ナイフを胸に突き付ける

 かつてインドの聖者ラーマクリシュナは、その師トーター・プリーに眉間に精神の剣を突きつけられて、カーリー(女神)の幻影を切り裂かれて無分別三昧に入った。

かごめ かごめ (今、開かれる)

かごの中の鳥は (今、飛び立つよ)

いつ いつ 出やる (今、今、飛ぶよ)

夜明けの晩に (真昼の荒れ野)

ツルとカメがすべった (ツチとアメが合わさった)

うしろの正面だあれ (私・あなた・あなた・私)

(マントラ詠唱)

終了後、参加者(霊)をシャボン玉に乗せて見送る

 シャボン玉とは魂のことである。それはわたし達かもしれない。

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