« ARION これからの事について DEC.6.1988 | トップページ | 正統竹内文書について »

2015年4月11日 (土)

ARION解読 忌部氏

 昨年、10月6日の記事「ARION 日向族と出雲族」でこのようなARIONのメッセージを取り上げました。

そこで、出雲族の族長であったフツは息子のスサノオとスサノオの第五子であるトシ(のちのニギハヤヒ)を伴って九州に住む日向族の制覇に乗り出した。恐れをなした日向族のイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの嫁として差し出して、同盟を申し出た。

 

婚姻は成立したのだが、反対していたアマテラスの影に隠れ権力を掌握していた義弟たちが怒り狂って、得意の呪術によって出雲族の整地や日本のエネルギースポットを封印して回った。そのせいで、出雲族と日向族は修復不可能なまでにこじれてしまい、この二分された対立構造は、その後の日本に形を変え、繰り返し表れるようになった。

 

それとは別にARIONは、日本に影の存在からの圧力に対する防波堤の役目を期待している。

 最後の文章にある「影の存在からの圧力」の内容が前回の記事になります。ユダヤ金融組織という言われ方をする場合がありますが、ユダヤもまた、利用されていて、「影の存在」は、古代バビロニア帝国に端を発するサイレンスグループだと思っています。これはアダムスキーがそう呼んだのですが、UFOについてはともかく、このことでは的を得ていると思います。彼らは聖書の改ざんも行っていました。検索すると色々でてくるでしょう。それなので、過去記事では偽ユダヤと呼んだのです。ノストラダムスが「シーレーン」と言っていたのがこれかもしれません。

 本日は、アマテラスの義弟達について、気がついたことがあったので、書いています。

ARIONによるとこの者達の名前は歴史に残っていないということです。

この文章が意味するところは、歴史の陰部という意味で忌部氏を指すのだろうと気がつきました。

 

日向のアマテラスの義弟たちの数字は四であり、彼らは四国に隠れた。

 

日向の直角三角形の封印において、四の辺上に九つのポイントがある。うち一カ所で日向は封印をしており、残り八ヶ所は偽物の封印である。

 

 日向の封印は、それぞれ、封印された地域に住む人が自分で気づき、解きにいくだろう。三四五の封印は日向の手によってかけられたのだから、日向の手によってしか、解くことができない。日向の血を受け継いだ者が、この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、四の辺上にあるたった一つのポイントに直感で気づき、自らそこへ行くだろう。

 

 忌部神社(いんべじんじゃ)は、徳島県吉野川市山川町にある神社

社伝によれば、神武天皇2年2月25日に、阿波の忌部氏が祖神である天日鷲神(あめのひわしのかみ)を祀った。

 神話で知られているのは天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、この神(天日鷲神)が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。

(Wikipedia 忌部神社、天日鷲神より)

 「ARION 345の三角形の封印 外伝」という記事では、大和三山と三輪山の位置関係の地図と万葉集の歌の説明をしたのですが、畝傍山の南西に忌部山がありました。これだけでは、忌部氏がこの山に関係があるかどうかわからなかったのですが、天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)が忌部山のほぼ真北にあることがわかりました。

 忌部山から天香久山のラインは神武天皇の橿原神宮のある畝傍山の麓を通過します。

 

Inbe

 

(地図はGoogle Mapを引用)

 

中央氏族としての忌部氏は、記紀の天岩戸神話にも現れる天太玉命を祖とする。現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地とし、各地の忌部を率いて中臣氏とともに古くから朝廷の祭祀を司った。

(Wikipedia 忌部氏より)

天太玉命(あめのふとだまのみこと)は、忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。

(Wikipedia 天太玉命より)

 このことにより、忌部氏が饒速日命を三輪山に封印した呪詛を行ったのではないかと思います。既に魔法陣を回転してしまったことと、我々が奈良に行ったことを公言したことで封印は解けていると思います。

 また、大本系の預言では、「騙して、でてきた神は偽の神だ。」というのがありますが、スサノオと結婚したアマテラスは巫女ではあるでしょうが、真性のアマテラス意識の体現者は、饒速日であるということをプログで言ってしまうことはそれなりに意味があることなのです。それで、たまに言挙げという言葉を使います。

 また、先日ちらりと書いた織田信長は、織田氏の出身で、 一説に劔神社の神官(越前忌部氏)の支流とも言われています。

 さて、ARIONの歴史についてのメッセージを補足するものとしては、正統竹内文書というものの存在があります。こちらの、サイトが参考になります。

http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/nantake.html

 注目すべきは、日本原人として縄文時代にすでに文明があったこと、シュメール(スメラ)民族は日本から海外へ出たグループなので、日向や出雲民族もまた、海外で血がまざりあい弥生人として戻って来た人々だということです。

 ARIONが邇邇芸命や此花咲耶姫について言わないのも、縄文時代の文明に関わることだったからです。徐福が清の始皇帝に命ぜられてきたのが紀元前3世紀頃とすれば、富士王朝というのが実際にあったことを物語っています。

 下の図は試しに三輪山を頂点に、三島神社と忌部山を結んで三角形を作り、直角三角形を2つ作るように線を伸ばすと信貴山にあたりました。三角形の大きさでなく、直角三角形であるというのが作図の条件になります。

 ここは、聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れ、太子が信ずべし、貴ぶべしといったことに由来すると伝わるところだそうです。太子は蘇我氏と手を組み、物部守屋を滅ぼしたのです。なんという因縁でしょう! これで物部氏は歴史の表舞台から消え去りました。この時、大本系神示の言う仏魔が日本に入りました。蘇我氏の出自は忌部氏ではないかと勘繰りたくなります。

 

参考;

中臣氏(なかとみうじ)は、「中臣」を氏の名とする氏族。

 

古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(アメノコヤネ)を祖とする。中臣鎌足は645年の大化の改新で活躍し、669年の死に臨んで、藤原姓を賜った。以後鎌足の子孫は藤原氏を名乗った。(Wikipediaより引用)

kono87

« ARION これからの事について DEC.6.1988 | トップページ | 正統竹内文書について »

ARION」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ARION解読 忌部氏:

« ARION これからの事について DEC.6.1988 | トップページ | 正統竹内文書について »