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2015年3月11日 (水)

ARION 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命

 ARIONのメッセージで饒速日命について言及しているものをNetで探していましたが、ようやく見つけることができましたので、掲載致します。

 私達の秘密としている情報を少し話そう。それは、この日本の神話だよ。日本書紀や古事記、いわゆる記紀は後の世の為に編纂されたもので正しい歴史書とは呼べないんだ。

 まず宇宙には『アメクモ族』と呼ばれた種族が居たことから話そう。彼らは、あなたがたの居るこの銀河系に遥かな昔にやって来て色々な惑星に植民していた。彼らの目的は『人型種族の繁栄と進化』だった。多くの惑星での入植、人種混合そして人型種族の進化を担ってきた。彼らの足跡は『モノリス』によって辿ることができるよ。地球にもやって来た、それは遺伝子操作によって地球原人が発生した後だけどね。

他にも宇宙から植民した人型種族は居たけれど、今の段階では私達の流れを話すのが筋だから、他の種族については語らないこととするよ。

 アメクモ族は今で言うアジア中央高原に降り立った。そこから多くの国に向けて陸路と海路で渡って行ったんだよ。この種族は後の世にアメクモ族の名前を残す為に自分達の名前に『アメ』『アマ』、つまりAとMで始まる音を配したんだよ。エジプトに伝わった名前にもあるね? キリスト教では最後にアメンと唱えるね?日本では『アメノ…』という名前が多いね? ラテン語に至っては『アモール』は『愛』の言葉だ。みんな『アメクモ族』の印だよ。

 さて彼らは日本に向けても陸路と海路で渡って行った。(紀元前の話)スサノオとその父フツの曽祖父に当たる男は海路で行くグループの首領だった。陸路で渡った仲間は先に日本に到着した。海路で渡った仲間は東南アジアの島々で数々の仕事をこなしてから朝鮮に渡り休んでから日本の壱岐対馬に渡り、その後出雲に住んだ。

 スサノオの父フツは出雲でスサノオを生んだんだよ。陸路で先に入っていた仲間はイザナミ・イザナギと呼ばれる人々が有名だね? 彼らはヤマト原人を制定し、九州に強い国を築き始めていた。そして海路のグループが携えて来た、いわゆる『十種の神宝』を要求していた。何故ならば、この神宝を持つ者が日本のスメラとなる事が決まっていたからだよ。

 アメクモ族の当初の予定では陸路と海路との両方のグループが協力して、日本を制定し文化と人類進化の為に邁進する筈だったが、陸路の仲間は自分達の権利を優先したい為に協力を断る者も出て来たんだよ。

 そこで首領の血を引くフツはスサノオを諸国制定の雄として送り出すことにしたんだ。その頃、九州にはイザナミ・イザナギの国があった。彼らの長女はアマテラスという名前の、たいそう賢く強い女性だった。

 フツの死後、スサノオは彼の器量を全て受け継いで生まれた第5子のトシを伴い九州を制覇にかかっていた。イザナギ・イザナミはスサノオの強大な力と知恵に恐れを成して、娘であるアマテラスをスサノオに差し出すことによって同盟を申し出てきた。アマテラスは既に結婚してはいたが当時には一夫一婦制の掟はなかったのでスサノオとの婚儀には問題はなかったんだよ。

 スサノオ、トシの親子は九州を制覇し瀬戸内海沿岸を制覇した。成人し経験を積んだトシはオオトシと呼ばれる様になっていた。既に年を取っていたスサノオはオオトシに『十種の神宝』を手渡し、ヤマトの国に入る様に伝えた。

 ヤマトの豪族ナガスネヒコはスサノオ親子との親睦を深める為に、彼の妹をオオトシに差し出した。オオトシはヤマトに入り実質上の日本の王となる為に、名前を変えた。『オオトシ(大歳)』から『アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト(天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)』と変えたんだ。ニギハヤヒは奈良に入りヤマトの王としての地位を確立したんだよ。彼の御陵は三輪山なんだよ。三輪山はピラミッド建築になっているよ。

 そして今、あなたがたはこの日本での『アメクモ族』の2000年統治の証としてのモノリスを振動させるんだよ。これはその時になったら詳しく伝える予定だけど、実際に黒御影石を使ってモノリスを建造する時期になったんだ。大きさも形状も決まっているし、場所も決まっているけれど、これは芸術品として売買できるものでは無いので、その点を考慮して建造されなくてはならない。このことは、いずれ実現されるだろうとしか今は言えない…

 

---ARION,O∴O---

尚、ARIONのメッセージにつきましては、パブリックドメイン(人類共通遺産)であり、転載可能と判断しています。

参考サイトは下記の通り、「ARION語録」の他にも興味深い記事があり、おすすめです。

http://fumio.music.coocan.jp/index.htm

 まず、宇宙人らしき『アメクモ族』について語っていますが、私は意外には思いませんが、宇宙人とかUFOについては、出鱈目な情報が多く、軽視していました。ARIONには、直感的に真性を感じておりますので取り上げています。

 また、瞑想中、プレアデス星人らしきものからコンタクトがありましたが、(歌手の谷村新司さんは昴という曲はプレアデス星人より、インスパイアされたと主張しておられるようです。)、ものすごいスピードで部屋の中をグルッとまわり四方にラップ音を残して去って行きました。チャネリングをやって欲しかったようなのですが、気乗りしませんでした。悪く思わないで欲しいです。(汗)

その頃、九州にはイザナミ・イザナギの国があった。彼らの長女はアマテラスという名前の、たいそう賢く強い女性だった。

 以前に先生の日輪さんから、卑弥呼の名前で「3,000年前、九州から始めた」とのメッセージがあったと聞かされていたことと、親魏倭王の金印のその出土地点を筑前国那珂郡志賀島村東南部(現福岡県福岡市東区志賀島)と推定されていることから、邪馬台国は元々は九州説に傾いています。倭を那珂川の「な」とする説もあるようですから、卑弥呼=大日霊女=撞賢木厳御魂天疎向津毘売尊(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)=アマテラスの巫女)でよいのではないかと思っています。また、都については博多近辺でなかったかと思います。しかしながら、卑弥呼を女性の巫女の称号とするとヒムカ、ヒミカなどたくさんおりますので、最初の卑弥呼とは言えるかと思います。いろいろ調べてみましたが、年代的な整合性が取れていませんので参考までに。

 年代については神武天皇元年さえ、定説がなく、神武天皇の存在さえ、疑われているありさまです。アマ族がパーミール高原を日本列島に向けて出発したのが紀元前2~3世紀ということですので、ここですでに100年の誤差がありますので、お手上げです。前に述べたように大和の図(弓を引く四角形)がピタリとはまっていましたので、神武天皇の存在は疑えません。

 ここで、伊勢神宮の20年遷宮の二十がフトで、カサハタ行の20音を指すと言いましたが、2013年に出雲大社本殿遷宮の60年と重なりましたが、20+60=80でア行とワ行を除く子音の数となります。

 20年のもう一つ理由を考えてみました。遷宮制度は第40代天武天皇が定めたものであり、次の第41代持統天皇の690年に第1回目の遷宮が実施されたそうです。平均の天皇の在位期間が大体20年と考えたのではないでしょうか? 天皇が変わるたびにお宮を変えることを示しているようです。平均20年とすると神武天皇元年は紀元0年となりわかりやすいんですがねぇ。都合よすぎますね。(笑)

 とはいうものの、伊勢神宮に足を運んで参拝した天皇は約1000年ぶりに明治天皇だったそうです。これは幻の初代天皇であり、最後のスメラノミコトが日向族でなく、出雲族出身の饒速日であったからと考えられます。

 伊勢に落ち着くまでに約90年に渡って遷宮されましたが、現在の大神神社の摂社「檜原神社」がそれまでは宮中に祀られていた天照大御神を、初めて外で祀った「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」の地と考えられているそうです。20ヶ所以上の「元伊勢」の出発点だったわけです。

 なぜ、三輪山であったのか? もちろん、このことが、伊勢の内宮に祀るべきは本来なら饒速日尊であるべきだっことを示していると考えます。私の感じるところ、今まで内宮は空っぽだったのです。瀬織津姫は内宮の守り神として、白い龍を従え、饒速日が入るのを待っていました。これが七夕伝説のひとつの側面です。饒速日命には照彦という名もありますね。

 だから、饒速日尊とミカシヤ姫のお役となって伊勢に入る型を演じたのです、言霊原理をある程度理解している私が神業を公言し、饒速日尊が本来の天皇で最後のスメラノミコトですよと公言する必要を感じていたのです。これが、昨年の神業の旅の真相です。

kono87

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コメント

初めまして。

数年前にアーリオンのことを人づてに知り、去年図書館で借りて読みました。
語調が割と自分と合うので横尾忠則氏装丁の黙示録風の方も読みたいですが入手困難ですね。
去年の夏には思い立って秋田の唐松山天日宮に詣でました。

また思い出してググってたらコチラのブログがヒットしました。
更新されたら読ませていただいてます。

marionさん、コメントありがとうございます。横尾忠則氏装丁の本が入手困難ということですが、このサイトに29編の詩詩が載っています。これがARIONの全部の内容かどうかわかりませんが、とりあえあず。

http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/murmur_db/6000/space-5625.htm

唐松山天日宮は、十種の神宝を安置したところのようですね。

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