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2014年10月24日 (金)

ホツマツタヱ 地の巻二十「皇孫 十種得る文」

 饒速日の人となりを少しでも知ろうと、以下、書き下し文にしました。原文の七五調のリズムが心地良く、生かそうとしたため、全体として、文体の統一感がありませんが、お許しください。

ホツマツタヱ 地の巻二十

すめみまことくさゑるあや 「皇孫 十種得る文」

ホツマ暦の二十六鈴十六枝 四十一穂、キアエ年、3月に春日神は、理にかなった政(まつりごと)は天地を明るくしましたが年老いて、政から退こうする時、オシホミミは、父自ら御子の櫛玉火明命、本名照彦をヤマトに派遣しようと、の告げ文をカグヤマを使いとして奉りました。

文に言うには、「自らが葦原国を治めようと準備する間に照彦を派遣すべきだ。」と妹背の御神(天照神)に伺うと、聞き召して許して、使いに言葉を返しました。

「ここにト祖の天つ神、十種宝を授けます。オキツ鏡とヘツ鏡、ムラクモ剣、ウナル玉、霊還し玉、チタル玉、満ち明かし玉、オロチヒレ、ハハチシムヒレ、コノハヒレ この十種なり」

「悼むことあらば、ひふみよいむなやことまで、数えて、振るえ、ただ、ゆらゆらと振るえ。このように為せば、既にまかった者も蘇るフルの祝詞だぞ。」と詔(みことのり)。

中津国の守(カミ=役人)が拒もうとするのを防ぐお供の役人として、

カグヤマはヤマズミの二子、フトタマはミムスビの三子、コヤネとはカスガ殿の子

クシタマはミムスビの四子、ミチネとはカンミの曾孫、カンタマはヤマスミの三子 

サワラノはアカツチの孫、ヌカドとはカガミツコの子、アケタマはタマツコの子ぞ

ムラクモはミチネが弟、ウスメヒコミケモチの孫、カンタチはコモリの初子、アメミカゲ タタキネの御子、ミヤツヒコ カナサキの三子、ヨテヒコはコモリの四つ子、アメトマミ ヌカタダの御子、アマセオはカンミの玄孫、タマクシはセオのいとこぞ、ユツヒコはサワラノの弟、カンタマはタマクシの弟、ミツキヒコ カンタマの弟、アヒミタマ タカギの四つ子、チハヤヒはヨテの弟 五子

 

ヤサカヒコ コモリの八つ子、イサフタマ ツノコリの子ぞ、イキシニホ オモヒカネの子、イクタマはタカギの五つ子、サノヒコネ ヒコナの子なり、コトユヒコ ハラキネの御子、ウワハルはヤツココロの子、シタハルはウワハルの弟、アヨミタマ タカギの七子 総べ三十二 皆 乗馬で守り行く

御子の照彦は八房の斎出車(いてくるま)に乗り、二十五の侍人(はとお)を守る五供の上司(みやつこ)、アマツマラ カンミの玄孫、アカマロは ツクバソソの子、アカウラはシホモリの二子、マウラとはヤマスミの五子アカホシはカツテの弟、この五人。

 

おおものぬしは (クシヒコ)は五組のモノベ 二十五を率(ひ)き添(そ)って 供人(ともひと) 総て八百六十四人

 ヒタカミ(日高見=今の仙台あたりを首都とする古代の王国)を出てカシマ宮(鹿島神宮)に着き、その道の途上の民に出迎ひ、たかやし(応援)に 欠けると聞し召し、イセにはんへる(仕える)御子の弟のキヨヒトに神御言宣り

「汝とチカラと速船(はやふね)に行きてイワフネで進むべし」

 

よりて御孫(みまこ)とタチカラヲ ワニ船に乗り、上総(かんふさ)のツクモ(九十九里)に着きて、カトリ宮(香取神宮)で、神言(かんこと) 宣れば、ホノアカリ マウラ(天津真浦)を召して占(うら)問えば、マウラ フトマニ "アキニ" (フトマニで明らかになったこと)を取る 『東風(こち)に冷(ひ)も解け積み逃る』、「今 春なれば西の空 民 疲れ 無し好し好し」と御言定まる。ニニキネとタチカラと行くヒタカミの君(オシホホミ)を拝みて由を告げ、後に御孫とタチカラとイサワ(伊雑宮)に帰り返言す。

時に皇御子(テルヒコ)、イワクスの船を設けてマラが叔父、アマツハハラを船長にマラは舵取り、アカウラを船子司に、アカマロとアカホシ、モノ(べ)を添え 水手に、マウラは風見ツクモより、逸(いつ=伊豆)の岬に帆を上げて、沖 走る見は大空を遥かに駈けり穢隈野の宮居(神倉神社、速玉大社の元社?)  拝みて浪速(なみはや)よりカモ(船)にて到るイカルカ(斑鳩)の峰より至りの白庭(しらには=領庭、白い石を敷き詰めた場所)に。

天の岩船大空を駈けり回りて、この里名をも “そらみつ大和国“。宮つ屋 (イカルカ宮)成りて十二の后、スガタが娘御后になして歌詠みカダカキ(三弦琴)の琴を楽しむ。

斑鳩の宮に移って、その次の日、高殿(うてな)より四方を望んだ折に、白庭山にカラスが飛んだので、隈野(くまの=汚れた場所)になったと思って宮遷(うつ)しました。

その時に、コヤネは、「早くしようと」と言うとオホモノヌシも同意しました。するとフトタマ(天太玉命)が「そんなこと考ないで。君も同意などしないでください。」と言い、カグヤマも「汚れた場所になったからといって、翌日、宮を移せば、楽しいことが既に終わってしまう。」

モノヌシは怒りて曰く「フトタマは 君の執着による落ち度である、長老たちよ、昨日万歳して、君祝ひ、今日また変わるものだ。宮遷(うつ)しは万千(よろち)は遠し一年も経ていないことを責めれば 世の恥は汝の心穢れより発生する。君が、同意すれば、私が茜炎(あかねほのほ)に潰みす(座す)とも、磨金(まろかね)を 食べても 心は穢れない」 このように言い返しました。

諸(もろ)議(はか)り によって、遂に宮を移して、アスカ川を周(くるわ)に堀って水禊(みそぎ)を為しました。

注意:私の勘違いがありました。ホツマツタヱではホノアカリ=饒速日となっていました。旧事本記を元にしているためかと思われます。諸説ありますが、個人的にはホノアカリはニニギノミコトと異母兄弟ということですので、もう少し時代を遡るのではないかと思っています。出雲族の上陸地点は、丹後であり、ホノアカリは、海部氏の祖ですから、そこで活躍した人物ではないかと思っています。饒速日は物部氏の祖です。

参考サイト(すばらしい!)

http://gejirin.com/hotuma20.html

kono87

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