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2014年9月29日 (月)

十禅図その七

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七、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。

 求道者は、静かに満月に祈っている。満月は仏陀、祖師達、ダンマの象徴だ。我が家に戻り、悟りは最初から自分の中にあったことに気づく。感謝に包まれている。

 自我にとって、悟りは最初目的だ。それを外に求めるのは自然なことだし、求道されなければならない。イエスは、「求めよ、さらば与えられん。」と言ったが、それは、弟子の質が、仏陀の悟り間近の弟子達とは違ったので、くつろぎなさいとは言えなかったからだ。

 道の最後には探求そのものも忘れなければならない。ここへきて、初めて、悟りは自分の中にありごく当たり前のことだったことに気づく。師の教えさえ忘れなければならない。人は、悟り間近になると真理の象徴をみることがあるという。ある人はイエスの姿を見、別の人は蓮の上の仏陀を見るかもしれない。仏陀は私の姿をみたらただちに殺しなさいと言ったという。

 ある求道者がやっとの思いで、ある師の元にたどり着いた。早々、師はこちらに来て仏像に礼拝しなさいと言う。仏像を前にまさに、腰をかがめたとき師は求道者を後ろからけり飛ばした。彼は大笑いして悟ったという。

 釈迦という いたずらものが 世にいでておほくのものを まよわするかな   一休

琴月

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