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2014年4月20日 (日)

天津磐境、日本書紀では…

 言霊の会さんが、日本書紀について言及しているところが、見つかりましたので、アップしておきます。先天十七言霊は同時に存在すると説明されています。これは重要です。

 言霊ウに始まり、言霊イ・ヰに終る五段階の心の先天構造を天津磐境(あまついはさか)といいます。五官感覚で捉え得る人間の精神現象が起る以前の、その精神現象が起る原動力となる人間精神の先天構造の事であります。この天津磐境の構造については幾度となく解説をして来ました。大方の御理解は得られたと思います。そこで今回はその天津磐境について、若しかしたらお気付きになっていないのではないか、と思われる事についてお話を申上げる事といたします。

 古事記の神話は天津磐境の先天構造を種々の神名を以て述べる時、天の御中主の神(ウ)に始まり、伊耶那岐の神・伊耶那美の神の二神に到る五段階の構造として説いています。そこで解説する私もその順序に従って解説をして来ました。でありますから、聞いて下さる方々は、心の先天構造は天の御中主の神(言霊ウ)に始まり、伊耶那岐・美二神(イ・ヰ)に終る五段階の構造が天津磐境といわれる心の先天構造の決定版であり、これ以外の構造はなく、現象の原動力である先天構造内では常にウに始まり、アワ、オエヲヱ、チイキミシリヒニ、イヰの順序で動き出すのだ、と思っていらっしゃるのではないか、と思うのですが、如何でありましょうか。

 実はそうではないのです。古事記神話に述べられた先天構造の記述の順序とは全く違う順序の構造図もあるのです。「古事記と言霊」の286頁をご覧下さい。上段に古事記の記述の順序による先天構造図が掲げられており、下段には日本書紀の記述に基づいた先天構造図が載っています。それは言霊イ・ヰで始まり、最下段が言霊ウヲワヱで終わる先天図であります。どちらかが正しく、どちらかが誤りである、と思われるかも知れません。けれどどちらも正しいのです。奇妙に思われるかも知れません。けれど真実なのです。どうしてそんな事が起こるのでしょうか。その答は唯一つ、「先天構造内に於て先天十七言霊は同時存在なのです」という事であります。同時存在のものが同時に動くのでありますから、その記述の目的、用途によって如何ようにも順序を変えて記述や解説が出来るという事になります。

01

 日本書紀の文章の冒頭の記述に基づく十七言霊の順を掲げてみましょう。それは明らかに古事記の天津磐境の言霊の順序がまるで逆転したかの如く見えます。古事記の先天図がその先天構造の内容を説明する為に都合がよい様に配列したのに対し、日本書紀に於いては、天津磐境の内容を既に理解した人が言霊原理に則(のっと)り政治を行う為政者の行動の心を示したものなのです。古事記の先天図は言霊学の学習のための図形であり、日本書紀のそれは言霊学の学習を終えた人の実際活動の図形と言う事が出来ましょう。古事記が天の御中主の神より書き始めるにの対し、日本書紀は国常立の尊(みこと)言霊エ」から始まっている事がその間の消息をよく物語っていると言えます。以上挙げました二例の他に、その用法・用途に従って種々の先天図を画く事が出来ましょう。人間の心の先天構造とその活動によって現われる言霊ウオアエの次元の現象との関係の法則を熟知するならば、その時々に適した先天図が考えられる事となります。

 記と紀の先天図の相違を更に考えてみましょう。古事記はその先天図を母音宇宙から説き出しています。それに対し書紀では父韻から書き出します。その相違と意義に気付いた時、先師小笠原孝次氏はこの事を「言霊学に於けるコペルニクス的転換」と呼んだのでした。コペルニクスはそれまでキリスト教が称える「地球の周りを太陽が廻る」という当時の常識を覆し、「太陽の周りを地球が廻るのだ」という事実を発見し、発表した事で有名な人です。先師は言霊学の研究に於て、天文学に於ける認識の転換と同様な重大な意義に気付いて、そう呼んだに違いありません。では先師が言霊学に於けるコペルニクス的転換と呼ばれる事実とは何であったのでしょうか。

 日本書紀の冒頭の文章とこの解説である先師の文章を引用することにしましょう。


 「天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざるとき、渾沌(もろがれ)たること鶏子(とりのこ)の如く、溟涬(くくも)りて牙(きざし)を含めり。時に一物生(な)れり、状(かたち)葦牙(あしかび)の如し、便(すなは)ち化為りませる神を国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まを)す。」
 

 「正に天地の始めは鶏の卵の如くである。その渾沌の始原宇宙(至大天球、全大宇宙)の中に森羅万象が生れて来る牙(きざし)が含まれている。葦の芽は河原の粘土の中から牙(きば)の様に伸びて来る。この葦の芽の如きものを国常立神と云う。宇宙の国(組邇[くに])である森羅万象が生まれて来る根源の兆(きざし)としてのエネルギーの発現であり、生命意志の始原の発露である。……日本書紀は、宇宙の始めを生命の兆である国常立(父韻)から説き始め、古事記はその兆が育って行く母体(母音)から説いている。両者はどちらが前、後ということのない同時的存在である。……神聖すなわち人間の生命意志が知性を駆使しての活動によって唯一渾沌の宇宙の剖判が開始される。」

 

 先師の文章は厳正で難解であります。古事記の天津磐境の先天図に帰って、先師の文章の目的を説明しましょう。古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。……」とあり、広い広い宇宙の一点に意識の芽の様なもの、しかし何であるかは分らないものがうごめき出します。これを言霊ウと名付けます。次に何か人間の思考が加わる瞬間に言霊ウの宇宙は言霊アとワの宇宙に剖判する、と説明しました。この「何か人間の思考が加わる」という言葉が曖昧なものでありますので、これを読む人の意識は大自然である宇宙の剖判の方に向いてしまい、人間の意志や意識には注目されませんでした。その為に、言霊ア、ワからオエ、ヲヱ、チイキミシリヒニ、イヰと続く宇宙剖判の原動力が曖昧なものになってしまう事となります。先師はその事に劇的に気付かれたのです。時は昭和五十三年立春の朝、朝餉の膳に「立春立卵」のお祭をした時であったと聞いています。(立春立卵の行事については会報19号参照)再び先師の文章を引用します。

 「立春の朝の啓示(直観)は驚異であった。今までまだ漠然とその存在と意義を予想していただけだった父韻が、明瞭にその姿と存在場所を顕わして呉れた。今まで現象と共に若しくは現象の中にあって蠢いている如く見えていた父韻が生命内部の核(ニュークレアス)としてその位置を確立した。自分にとって正にコペルニクス的転換である。古い天動説を地動説に変えたのがコペルニクスであったが、造物主を天界に在る架空の神と考える宗教的には「天に在します我等の父よ」という主の祈りにその場所を示されていた天動説が、そして電子が陽子の外側にいてこれを取巻いている如く考えていた物理学的天動説が、再び逆に自己生命の中心に置き戻された地動説、内動説に転換した形である。生命意志は宇宙万物の、そして人類文明の創造者、造物主である。その生命意志を把持運営する者は架空に信仰される神ではなく人間そのものである。これを国常立命という。国は即ち地である。予言の時が来て立春(節分)に国常立命が正に世界に出現した想いである。国常立命は人間自身の中から現われて来た。」

02

 最後に鶏子(とりのこ)(卵)の宇宙剖判図を載せましょう。(小笠原孝次著「言霊開眼」より引用)。言霊ウから剖判した言霊アとワを結んで現象を生せしめるのは、生命意志(言霊イ)の働きである八父韻であります。それと共にウからアとワに宇宙剖判を起こさせるのも生命意志なのです。この事によって人それ自体が宇宙の中に於て、宇宙的な文明を創造する造物主、創造主神なのである事を明らかに知る事が出来ます。

会報 <第百八十八号>平成十六年二月号より引用

ひので

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